心は肉体と霊魂を調整するために後天的に生まれた連結装置です。
この場合の肉体は、行動することで生まれる「現実」も含まれています。
霊魂は固定されたものではなく、これも後天的に融合変化して行きます。
それに見合うように、心もどんどん変化します。心の可能性は無限定です。
「心」は一つですが、人間の成長とともに大きさや高さも変化します。
高さというのは、天地の間での心の位置のことです。
もし、霊魂と肉体が生まれ持って仲良しなら、心は必要がなくなります。
そうすれば、霊魂の思い通りの現実が作れて、それは平和な世界になるでしょう。
そうならないのは、霊魂は穏やかな平和を体験したいわけではないってこと・・・?
平和で穏やかが望みなら、中庸でバランスよく動いている宇宙にいればいいことです。
あえて地上に肉体という仲がよくない入れ物を作って、現実を作りたい意味は何か?
霊魂が経験したい現実人生の真意はわかりませんが、これが人間世界ってことです。
図左のように天地の間に心はあって、霊魂と現実の調整役を果たしています。
霊魂は思い通りにならない現実を憂いて、平然?とつらさを心に訴え続けます。
まるで、憂いや苦しみや悲しみを経験したかったのかと疑ってしまいます。
肉体は心の命ずるままに現実を作ります。現実は概ね思い通りにはなりません。
心には先験的な判断力はないので、これは心が悪いとはいえません。
心も肉体も直接現実を作れないとしたら、悪いのは・・・霊魂しかいません。
霊魂が天の気から生じているなら、霊魂は自然を知っている気の集団です。
現実がどんどん自然から離れて行くのは、霊魂にその素質があったということです。
素質は本性ではなく、人間の歴史の中で霊魂が変容してきたってことでしょう。
人の一生の中でも、霊魂は融合と離反を繰り返し、変化し続けています。
霊魂の中に、人間史の中で作られ、継承されてきた人間魂があるのだと思います。
心を苦しませる、人間魂とは何か、それを探ってみたいと思います。