算命学を自分を知るための学問にするには、まず、この違いを理解することです。
西洋を直接天文学とするなら、算命学は間接天文学と書かれています。
これは占星術だけでなく、思想や科学の分野でも東洋と西洋の大きな違いです。
この違いがすべてを説く鍵になっています。
西洋では、人間がいて、現実があって、星が輝いています。
人間の認識と星の存在との時間的な誤差が科学的に証明されても、星はあります。
ところが東洋では、初めに人間があるわけではなく、星があるわけではないです。
始めに五行ありきです。五行がなければすべての存在もありません。
古代東洋では、目に見えている自然から、見えない自然の原理を発見しました。
自然があるのではなくて、自然の原理がある、ここを理論ではなく実感できるか?
算命学では、陰陽とか中庸とか神とか、いろいろな考え方が出てきます。
大事なことは、これを理論で分かることではなくて、真に受け入れることです。
人間は気で作られていて、そこから生じる陰陽が相生相剋を生み、それがすべてです。
人間世界の気は霊魂と呼ばれ、形は肉体と呼ばれ、それが一体となって人間です。
すべての存在物は形と霊魂があって、生きているのは霊魂のほうです。
前回観たように、ここには霊魂と心という見えない法則が働いています。
心の在り方、肉体の現し方、自分を取り巻く環境など、他の要素も働きます。
それでも原理は、木性が木星になる(気が人間になる)、という東洋占星術です。
西洋でも人間や木星を分析し探究して五行や木性にたどり着くことはできるでしょう。
もしそうなら、東洋は分析も探究もなしに、先に真理を知っていることになります。
なので算命学は、「東洋はすでに真理を知っていた」ことを証明するための技術です。
誕生日から霊魂の配置を知り、それがどういう世界を作るのか(星)を推測します。
それが現実を作っていることを当てれば、霊魂理論が正しいことになります。
だから、算命学は古代の自然科学と呼ばれています。
現代のように、コンピューターも実験器具も科学の歴史もない時代です。
そこで生まれた算命理論が背負っている使命はとてつもなく大きなものです。
ただ、現在の算命学は思想算命学とは違って、人間の存在を前提にしています。
例えば、高血圧や不整脈は、基準の血圧や整脈が分かるから出てくる病名です。
運命を考える時も同じことです。基準がないと何が原因なのか特定はできません。
技術だけで運命判断をするのは、検診しないで投薬をする藪医者と書かれています。
今の算命学は人間が幸福になるために、人間世界でよりよく生きるための占いです。
結果的的には、西洋占星術と同じような手法で答えを出しているように見えます。
それはそれで役立つ算命学ではあるのですが、でも明らかに異なる算命学もあります。