ここまでの推論は概ね高尾算命理論に基づいたものでしたが、ここからは、妄想が加わっての推論が続きます。
それでも、原理的には高尾算命の立体五行説にのっとっているつもりです。
天と地が時間で結ばれているという発想は西洋の時間論からは出てくるはずもなく、東洋独自の(もしかしたら算命学独自の)宇宙論だろうと思います。
実に画期的かつ壮大な理論だと思います。東洋すごい!
そして、これを存在論へとスライドさせると世界(人間)は十干(10の空間=気)でできていて、なんら実体はなく、時間は映写機の如く、それを現実世界へと投影させていることになります。
前述した天と地の空間を時間でつなげた図を、干支で使われている10干12支に置き換えると次のようになっています。
教科書では、地軸の傾斜を古代人は知っていたという理論の元に説明されているので、科学に疎い老脳ではとても理解できない話になって、飛ばしてしまいました。
実際、高尾学館の授業でどう説明されているかはわかりませんが(独学なので)、教科書を読んだだけではここ(2巻の後半)を占いと結びつけることはできませんでした。
それでも霊魂視点で改めてみると、まったく異なった解釈が浮かんできました。
最初にひっかかったのは、なぜ、地上と宇宙という呼び方をしないで、遠近の「天空」という言葉を使ったのか?でした。
地上は人間世界ですし、現実のはずです。それが近い天空。
近天空という言葉にはリアリティーはなく、天の空間の地上版というニュアンスです。
遠近とは陰陽のことで、これに対する極は「神(真の神)」です。
この世界は、時間の神と空間の神がつかさどっていて、それは天上の上にいる真の神の陰陽の姿ってことです。この世は、神の陰陽でできています^^
そこから現実仮象説が浮上します。
近天空(人間の現実世界)の気と遠天空の気が時間でつながっているのですが、その中心に位置するのが最初の図の中央の煙突のような管、「心」です。
この図がすべてを示しています。これは見事に算命学的存在論です。
だとすると、地上の10干も天上の10干もみえないし、それをつなぐ時間も見えないし、中心を貫いてすべてをコントロールしている心も見えません。
これが存在の原理的説明だとすれば、いや、だとすればではなく、説明なのですが、現実は見えない世界が何らかの機能によって見えているってことになります。
映画はフィルムがあって、映写されているのですが、観る人がいなければ成立(存在)しません。今のようにデジタル化されていればなおさら、再生機と人間の認識機能が映画を眼前させていることになります。
この図を使えば、人間世界(近天空)は天空に映写された映像を人間の認識機能が現実化している、それが人生という説明が出来そうな気がします。
仏教でいう一切皆空や色即是空を図にするとこのようになるのだと思います。
だからこの「空」は「ない(無)」ってことではなく、無=有ってことです。
色即是空は空即是色です。西洋ならニヒリズムに陥るのでしょうが、東洋ではこれが存在原理(ある)ってことの実相なのだと思います。
算命学が証明しているのは、「空」の正体です。二つの天空とは何かってことを説いています。それがここでずっと騒いできた^^「霊魂様」ってことです。
霊魂がなんであるかを解明することは、そのまま東洋的存在の神秘(色即是空 空即是色)を開くことになるのだと思います。