「吾れ思うゆえに吾れあり」の「吾」はおそらくこの「心」のことでしょう。日干や主星は吾思わなくても吾としてありそうで、思っても自覚できないはずです。なので、吾思うことで認識する吾は「空なる吾」で吾と限定できる実在性はもたないことになり、デカ…
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