霊魂の入れ物として肉体の大切さは前述のとおり算命学でも多く語られています。
ただ主役はあくまでも霊魂です。霊魂がない肉体は動物以下とまで言われます。
そこで、無形の霊魂と有形の肉体との関係はどうなっているのかを観てみます。
人間世界は、宇宙と陰陽関係です。よくいう、ミクロコスモス。
宇宙の心と人間の心がイコールです。ここが大事なところ。
「宇宙と人間」がイコールではなく、「宇宙の心と人間の心」が陰陽関係です。
僕たちが「自分・人間」と思っているのは、実は、人間の心(宇宙の心)です。
人間の陰陽は肉体と霊魂。人間が肉体と霊魂に分かれているわけではありません。
つまり人間とは人間の心(小宇宙)の化身であって、そのものは実在ではない?
人間が霊魂と肉体でできていることは確かなことですが、それが心になっています。
でも肉体の中にあるのは霊魂であって、心ではありません。心はどこにあるのか?
あるいは、心は「有る」と呼んでいいのかどうか。人間を「有る」といっていいのか?
人間の本質は「心」です。心は霊魂(天)と肉体(地)を調整するための装置です。
神の陰陽として小宇宙と大宇宙が置かれていますが、そこに「心」をつけたのはなぜ?
そして人間の本質も、肉体と霊魂の極として「人間」ではなく「心」なのはなぜ?
心が本質ならそれはすでに人間の大事な要素としてあるべきなのでしょうが・・・ない?
心はあらかじめあるものではなくて、後天的に天地の調整役として生まれたものです。
後天的であり調整役なのですが、それが本質であり、人間存在を語る中心器官です。
そこから導き出される答えは、僕たちが自分とか人間といっているものの実体はない?
我思うゆえに我があるわけではなく、我は後天的に生まれてくる無限定な何かです。
人間とは調整され続けている霊魂と肉体のことで、実体なんてないのかもしれません。
心は霊魂と肉体の執事といわれていますが、実は人生の主役は執事かもしれません。
人生は「私」が生きる過程ではなくて、「心」が霊魂と肉体を調整する過程?
そう考えると、自分を含めて、人生という現実が仮想に見えてくるわけです^^