未来へ向かう無限の霊魂と過去に向かう有限の現実(肉体)が人生の姿です。
その矛盾が人生の剋線(苦しみ・悲しみ)を産んでいると思われます。
二つの五行図の現実横線4つのうち、3つは剋線の行程です。
右図を霊魂のみの五行としたのは独善だとしても、横列剋線は人間界五行の姿です。
できるなら、剋線を回避して、左右共に相生の自然な流れで生きたいと思います。
算命学でも、人生をいかに自然に生きるかということがテーマになっています。
自然五行と人間(人間の霊魂)五行とは陰陽の関係です。
陰陽は極を持って一体となる理論通り、心が陰陽一体を創出します。
これが陰陽説であり、中庸であり、バランスです。
中庸バランスというと、円形の陰陽図を思い浮かべますが、これは概念的中庸です。
実際の一日は昼は昼(陽)が強い状態を言います。陽に偏っています。
夜は逆に、陰が強く、陰に偏っています。現実的には、バランスはとれていません。
陰陽説を現実で生きる場合、50対50でバランスがとれているという意味ではないです。
どんな状況でも陰と陽があるってことです。どちらかひとつなら、存在できません。
昼夜の比率によって、真昼とか夕暮れとか、現実が変化します。
「禍福はあざなえる縄の如し」は陰陽説ですが、人生の最後にわかることです。
渦中では、不幸一色に感じ、幸福に酔いしれて、時には100対0にも思えてきます。
「夜明け前が一番暗い」といわれるように、陰が極まることで陽転します。
陰が極まって陽転し、陽が極まって陰転するのは、陰陽で成り立っている故です。
陰陽説を信じることができれば、苦しみは陽転のための必然だとわかります。
禍福は糾われることで成立していると解釈できます。明けない夜はないのは真理です。
幸不幸が織り込まれた縄が人生なら、幸福も不幸も陰陽として等価です。
昼と夜が等価というのは理解できても、幸と不幸の等価は納得できないのが人間です。
でも、陰陽説が宇宙の真理なら、幸福と不幸は等価であることが人生ってことです。
幸福になりたいと願う気持ちは、同時に不幸になることも願っているわけです。
だから、人生の目的を幸福に置くことは、陰陽説に反していることになります。
子供時代には生と死が陰陽だなんてわかりませんが、老いてくれば、わかるものです。