宿核にどんな気が入り込むのかは、命式からの想像を超えた範囲でも起こります。
その上に、その不確実な宿核をベースに次々と霊魂が融合されます。
日干はその霊魂を探り当てて、星として表出する作業をします。
融合混濁した霊魂群の中から星を出す作業をするのが日干です。
肉体内の心(調整役)は日干の役割です。
考え方としては、命式の気(霊魂)は日干というパイプを通って星になります。
この日干のパイプはただのトンネルではありません。「甲」質の筒です。
それだけではなく、このパイプは天にも通じていて、今世の天意フレームです。
例えば、宿命中殺はこのパイプに穴が空いているという説明があったりします。
これはいずれ詳しく観ていこうと思いますが、たくさんの要素を含んだパイプです。
私見ですが、気の中に時代的天意(既存)が含まれるであろうことが大事です。
平安時代の禄存星と現代の禄存星では、生まれる現実が変わってくるってことです。
それも含めて、理屈としては霊魂が星になっていると理解はできているのですが・・・
いざ、9マスの中に星として出現すると、人間の性格や能力としてみてしまいます。
日干は私ですから、生身の私が現実を作っていると考えてしまいます。
僕も長い間ずっとそう考えていて、自分が変われば世界は変わると思っていました。
日干が作る現実という意味では、バーチャル感はありましたが、「私」は実在感です。
心だって私だろうと思えば、心だって私になります。
で、この時点で、私vs宿命の気(霊魂ではなく)、という図式が出来上がります。
算命学でも誤解を避けるためか、あえて、占いの中では霊魂という言葉は使いません。
「気」とか「干」とか「空間」とか「精神」に置き換わります。
通常は甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の名称が星になっている感覚です。
日干甲が己をみて、司禄星を作る、みたいな。
「日干が霊魂の分類をして、肉体から該当星を抜き出している」、なんて思いません。
霊魂は融合されていますから、この星出しの作業はそれほどクリアではないです。
でも図式化されてしまうと、A=B的な明快さで、星が輝いています。
自分(人間)が与えられた気を燃焼させて現実を作っていると思っちゃいますよね。
図の通りなら、日干は手品師のように霊魂を星に変えていることになります。
「抜き出す」というと日干が抜き出しているようですが、逆もありそうです。
日干の筒の中を霊魂が通り抜けている。こちらのほうが霊魂主体です。
霊魂が勝手に日干の筒に入り込んで、星に姿を変えている。
そう考えるほうが、日干が肉体から抜き出している、とするよりはいいでしょう。
日干が主役ならそれもありですが、主役が霊魂なら、日干はただの通り道です。