実際、算命学を読んでいくと、人間を極として肉体と霊魂が陰陽と書かれています。
その方が多くて、何も考えてない時は人間は肉体と霊魂でできていると思います。
でも、霊魂の説明や心の説明になると、人間の部分が「心」に変わってきます。
原典でも、「矛盾する」と書かれていて、二説あることを認めています。
ただどちらが正しいということではなく、有形無形という分類の違いってことです。
目に見えている自然や現実世界を分類すれば、極は人間でもいいわけです。
技術的には占う内容によって、二つを使い分けましょうってことです。
例えば、陰占(現実)だけを占うなら、これは人間が極のほうを使えます。
でも、そこに陽占を加えるなら、これは心を極とするほうでないとだめです。
この使い分けを説明するには、遠天空と近天空という二つの立体五行を使います。
一般的には二階建て十二支という形で12支を天地で陰陽分類した図です。
近天空には、一階(地上)の天井付近に神(未)がいます。地上に近い神です。
遠天空では二階の天空に宇宙唯一神(辰)があります。丑未戌辰はつながっています。
「辰」は天の神に近い空間に位置するので、干支意味の中でも神的要素が加わります。
「未」は地上(現実世界)の神の位置で、天地をつなぐ特殊な位置にいます。
大事なことは、天空五行と地上五行では東西横線と、南北縦線の陰陽が違うことです。
通常は人間を主役として考えるので、近天空五行を使って、肉体が陰、霊魂が陽です。
陰は現実(有形)、陽は精神(無形)という区分けになります。
ところが霊魂を主役にしたり、人間の運命を論じる場合は、遠天空五行を使います。
この場合は霊魂が現実(有形)で肉体が精神(無形)になるんですよね。
だから、心を極にして考える陰陽説では、肉体は無形(陽)になります。
「ここでは」というのは、小宇宙の中で一極二元の法則が成立する世界のことです。
「そこが欠如したら人間ではないというもの」を極にすることが必然になります。
それが心ってことで、「人間」では、その役は果たせません。
当然、算命学占いは人間の運命を占う技術ですから、心を極とした占い方になります。
心を極とすれば、人間現実は陽(無形の精神)となります。
つまり、霊魂が生きる道こそ、占いの対象になるべきだろうと思うのです。
だからこそ、「星」を使うんですよね。星は霊魂を明らかにする技術ですから。
問題は、人間の実社会(近天空)を舞台にしすぎているところにあるように思います。
人間が本当に生きる道は、近天空の「現実が陰(有)」の世界でいいのか・・・です。