青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

スピ算人生論-「人生は映画」なのか?!

心、霊魂、肉体の関係を自動車に例えたわかりやすい説明がありました。

「自動車が有る」といえないのは、様々な部位が合わさって成り立っているためです。

3つのどれか一つが欠けても自動車足り得ないという関係としての存在です。

 

心はエンジンであるとともにアクセル役も果たしていると書かれています。

これ全部で車(人間)として、実際の運転手は人間です。ボディーは運転しません。

それを調整するものは本人の理性によるものと考えています」と書かれています。

 

算命学原理の難しさは、時々こうして、別の概念ががポンと登場するところです。

「理性」という(断定されていない)新たな単語をどこに当てはめるのか?

前にやった、陰占陽占図が思い浮かんだので、日干を理性と考えました。

 

エネルギー(霊魂)を形にするときには、陰占的には日干が心の役割を果たします。

これは後天的に生まれたものではなくて、誕生日に授かっている位置です。

日干という心と、それをも統合して人生を作っている心と二つある?と考えられます。

 

”靑“流に簡素化して人生を考えると、こんな感じになります。

映写機の心は誕生日に与えられた気とそこに付随する霊魂と理性としての日干。

人生とは霊魂に刻まれたシナリオを心が映し出している「現実」と思えてきます。

 

結局、人間は、そしてその現実は、心・肉体・霊魂でなりたっているということです。

始めから人間があって、それを3つに分類したわけではありません。

これは存在するモノすべてにあてはまる、東洋的な存在原理です。

この説明の中でも、「人間」に対して(時間)と加えています。

単純に「人間」と書けないこだわりを見逃すことはできません。

また、大地の上を歩いている姿が人間というわけでもないのです。

 

「天空間」と「地空間」の間に挟まれて存在する?のが「時間」です。

( )の中をつなげるとこうした記述になります。何も存在していない^^

でもこれが世界の成り立ちの本質的な原理ってことだろうと思います。