青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

スピ算人生論-再検証 主星と霊魂の関係⑪

正義感が強く、人の面倒見が良かった父の影響から、サラリーマンでスタートしたものの、警視庁で警視総監まで上り詰めて政治家に転身しています。
父は政治家ではなかったのですが、父の影響が大きく、月支と月干の戊は父の偏干。
父系が出ていますが、年干の丙は、先祖様よりも政治家ということで一般大衆の石門星がいいでしょう。

注目点の6旬の天剋地冲は政治家として、もっとも花開いた時でした。政治家が埋め込まれていたということでしょう。
そして、それがピークアウトして、次の大運の入口あたりから絵画を趣味として始めました。
2005年には個展を開いています。政治家も絵画は眠っていた調舒星が花開いたのでしょう。

 

同じ誕生日の服部克久さん。亀井さんとは活躍の場は全く違いますが、家系的な影響はほぼ同じようでした。父の影響は服部さんの方が大きかったでしょう。
国内唯一のプロ・ポップスオーケストラ、東京ポップスオーケストラを結成。100を超える都市でコンサートを開催。日本人初となる米国国連総会会議場での演奏や、カーネギー・ホールでのニューヨークポップス・オーケストラとのコラボレーションコンサートなど、その活動は海外からも高い評価を得ています。

服部さんの父服部良一さんは作曲家で、「土人形師の父久吉と母スエの間に生まれた。芸事好きの家族の影響で郷土の民謡である江州音頭河内音頭を子守唄代わりに育つ」とあったので、父系に音楽や芸事の才能があったと思われます。
良一さんは、代表作に『別れのブルース』『東京ブギウギ』『青い山脈』『銀座カンカン娘』などがあり、いずれも時代を象徴する国民的ヒット曲を生み出しています。

調舒星という意味では、作曲家をそのまま受け継いでいるので、霊魂の才能継承とみていいでしょう。父が時代を反映し先取りして庶民の歌を創ったことは継承されて、国内唯一のプロ・ポップスオーケストラを結成しています。克久さんはそれを拡大して、日本やアジアの音楽を世界へとアピールしてきました。

年干の丙は兄弟姉妹がいいかもしれません。弟さんが俳優だそうで、他に妹が3人。親族にも芸術家が多く、そういう家系のようです。
亀井さんも再婚でしたが服部さんもそうですね。このあたり、外の愛人(癸)の影響があるのかもしれません。


6旬の天剋地冲(月支従星の陰転)では音楽の変化はよくわからないのですが、ここで、父の服部良一さんが亡くなっています。
そのあとに、東京ポップスオーケストラを率いてカーネギー・ホール単独公演を開催しているので、見えない力の後押しがあったのかもしれません。

父親は左から右と方向転換して、保守党の下部機関の会長を務めた人。母は大学時代に亡くなっています。ブレアさんは保守ではなく、労働党に入り、その中での改革を目指しました。
母についての記述はほとんどなく、家系の霊魂干はほぼ父系があてはまります。
調舒星の戊は正干己(父)の陰陽ともよめますが、下の庚を実干の父とすれば、正干の父の母という見方もできます。

天剋地冲期間では、議員を辞職して、文化人的な生き方に変わります。
カトリックへの改宗の背景はわかりませんが、学生時代にキリスト教社会主義に傾倒する時期がありました。宗教と政治の関係は日本ではわかりにくいのですが、イギリスでは大きな問題だったようです。そのあたり、霊魂の課題としてあったのかもしれません。
回顧禄も霊魂指示のような気もします。服部さんもそうでしたが、この期間に影響のあった父を亡くしています。

両親は幼少のころ離婚。父は画家で同性愛者だったと後年に知り、それが離婚理由だったそうです。母子家庭で育ちましたが、父とも交流があって、晩年、父のための映画を作りました。霊魂的には父系かなと思われるところもあります。
母(乙)は日月の現実にいますが、父は月支本元と月干にいて、霊魂場所にいる父です。
ただ、上の壬は母系の祖母または配偶者で、戊も定かではないです。

天剋地冲では病気で一時空白ができましたが、その後復活しています。ただ、この時期は評論家からはあまり良い評価を得られなかったようです。
霊魂登場は次の大運で、かねがね気になっていた父への思いを映像にすることで、一仕事終えた感はあったと思います。父に作らされた映画という感じを本人も受けているようです。

 

桑田さんはお父さん子だったようで、父の思い出を多く語っています。
一方で、両親が運命的に出会った場所という意味もあって、霊魂の記憶は母の故郷である茅ヶ崎が強く印象付けられていて、サザンの名曲の多くもそこから生まれています。

そうした個人的霊魂の系譜とは別に、天剋地冲以降は、作品もテーマも大きく変わってきています。その前段階に、食道がんを患ったことがあると思います。

新曲の「Yin Yang(イヤン)」については次のように語られています。

いつの間にか歌謡曲というジャンルが日本の音楽シーンから消えていったけど、僕の中では歌謡曲の歌詞だとか節回しだとかが、連綿と残ってる。「汽笛」なんて歌詞は、歌謡曲の常套句(じょうとうく)ですが、平成の若者には新鮮であり、昭和の中高年には懐かしいものかもしれない。その真ん中にいられるとしたら、うれしいですね。
日本でも米国でもヒット曲の質が変わって、涙流して手を合わせながら聴くような曲はなくなってしまった。歌謡曲が滅亡してしまうのも、時代の変遷で仕方ないとは思うんですけど……。でも、周りの座標軸が動いているだけで、自分はあまり動いていないような気もしているんです

動いていない座標軸こそ、宿核なのかなと思います。