人生は霊魂主導で動いていることを前提にすると、前に進むことが生きることです。
それは生きる欲望といってもいいでしょう。希望といえば、綺麗な前進力です。
有願というのは、環境や経験から生まれる、自己欲求を満たすための願望のことです。
有願であっても、一時的には大成功するようなことは起こります。
ある期間、幸福一色に染まって、生きていてよかったと実感できます。
でも、陰陽説は有願は挫折とセットであることを教えてくれます。
挫折が終わりではないのは、新しいエネルギーというのは挫折から生まれるためです。
幸福というのは概ね人間の願望達成の後に訪れる、人間が味わう感情です。
霊魂としてはそれはプロセスで目的ではありません。
霊魂本来の役割の上に、生きているうちに引き寄せられた様々な霊魂があります。
その折々では、それが自分の生きる目的だと思い込みます。それが前進力になります。
そのエネルギーは大きいので、一時的には満たされて幸福を感じたりもします。
その時に新たな欲望が生まれてくるのが、前にしか進めないエネルギーの業です。
赤が終われば黄色、そして青と次々と有願を燃やし尽くしてやっと無願に向かいます。
中には、最初の赤の段階で、立ち直れないような挫折を経験することもあります。
それを繰り返すことで、色付き霊魂を燃焼させて消すんですよね。
ゲームみたいなものです。プチプチ消していって、徐々に本丸に近づきます。
そのうち、挫折のない、本来の役割、生きる意味にたどり着くことができます。
でもたどり着く場所は、喜び悲しみ、幸せ絶望とか、感情の起伏の少ない世界です。
たぶん、あんまりおもしろくない世界だろうと思います。
だから若い時に、苦楽、悲喜という感情を経験しておくことが必要なんだと思います。
いずれにしても、本来の霊魂のもっている生きる目的ではない願望は挫折します。
書かれているように、たどりつくまでには20年、40年という歳月が必要です。
その意味では、生きるってことの一つは、悲しみと苦しみを経験するってことです。
だからといって何らかの理論を見つけて無願の道を歩もうとしてもそれはできません。
本来の役割に気が付くためには、糾える縄をのぼるしかないってことです。
霊魂に直接アクセスして、生きる目的を聴いても、新たな挫折の道を歩むだけです。
自分の歩んでいる道が有願か無願かは、霊魂から遠いか近いかという距離です。
乖離は引き戻されるの原理のように、開きすぎれば戻されます。
まずは結果論でしか語れないのですが、途中で気づく道も用意されてはいます。