自分の人生が有願の道なのか無願の道なのか・・・判定方法にも王道はありません。
算命学は宗教ではないので、神を信じれば道が見えてくるってこともありません。
自分の感性を磨き、起こる出来事から神の意志を読み取ることが推奨されています。
これを「透念気」といいます。目にみえないものを見る力のことです。
超能力でも霊力でもなく、人間に備わっている感性で出来事をよく観察することです。
現実で起こる出来事は何であれ、神の意志が反映されています。
これを人間目線でみると、赤と青の車がぶつかったことで、どっちが悪いの?です。
原因を探って教訓にしたり対処したりするのも人間目線のことです。
起こる出来事の人間的な意味は、何も関係ありません。善悪も、人間的な因果も。
自然の仕組みや法則は、神が人間に何事かを知らしめている、という考え方です。
天の運行や地上の移り変わりを観察して、それを人間の生活上の指針にしています。
算命学が自然科学的な視点で人間世界を解明してきた、この方法を使えってことです。
現代では、人間が自然を自分たちの生活空間に置き換えてしまいました。
そこで、自分が起こす現実の出来事を自然の営みと同じと考えてみます。
そこから、古代人と同じように神の意志を読み取ってみようということです。
古代では、始めに自然ありきで、この中でいかに生きていくかが大きな課題でした。
現代では、はじめに人間ありきで、生きることは単に生きることではなくなりました。
人間は一度主役の座を降りて、世界を見渡してみましょうというのが透念気です。
透念気の説明には、「心を透明にして、広く多角的に感じとる心の気」とあります。
人間というフィルターを外して、霊魂の眼で世界を視ることで、神の意志を感じます。
透念気ではないですが意図的に肉体を排除して、霊魂目線を得ようとした人はいます。
透念気が教えているのは、見えている現実が真理ではないということです。
森羅万象は気で作られていて、霊魂のエネルギーが時間を生み出しています。
主役は人間ではないことは、古来より疑われていたことなのだと思います。