話しが飛躍してきたので、一度、整理してみます。
人間は霊魂と肉体で成り立っています。成り立ってはいますが、この二つは自然に一体になるものではありません。
これが基本的な肉体と霊魂と心の在り方です。陰と陽の関係です。
これだけならまだわかりやすいのですが、魂のほうにも陰陽があって、これが人間の本質を作っています。
肉体と霊魂でつくられている人間で、肉体の陰陽は女と男です。
霊魂にも陰陽があって、それが魄と魂です。
人間の男女はわかりやすい陰陽ですが、霊魂の陰陽は実際は混在していて、目には見えないし、人間には感じることもできません。
この二つが何をするかというと、人が生きるエネルギーの元を供給します。
希望と呼ばれたり、願望と呼ばれたり、時には欲望と呼ばれたりします。
問題は魂魄が混在していることにあります。
魂というのは一つの塊ではなく、重ね合って融合したものです。
そして固定されたものでもなく、その上、生きていくうちに肉体が様々な魂を引き込むので、より分かりにくい融合体となります。
魂の世界に到達するためには、有願の有色エネルギーを燃やし尽くさねばなりません。
混在した魂たちの願望を燃焼させることが人生です。
しかし、有願の魂は親先祖から継承されてきたもので、そこには様々な因縁が含まれていて、燃やすプロセスでそれらが表出、それが人生のさまざまな問題を引き起こしていると考えられます。
「無駄なものや無益なものがなくなり」とありますが、ただ、消えていくわけではなく、自分が現実で欲望し、それを得ようと生きることによってだけ、不要なものが消える仕組みです。
実際、無駄、無益という言い方がいいのかどうかはわかりません。
そういう見方をすると、人生で経験することの大部分が無駄、無益ってことになるようにも思います。
まぁ、それが真実かもしれませんが・・・魂と魄の関係をわかりやすくするための説明だと思うことにします^^
「どの人間も「有願」を通過しないで「無願」の世界へ入ることは出来ず、一足飛びに無願の世界へ到達しようとすれば、おそらく永久に有願の世界を脱却することは出来ないでありましょう」
そんな面倒なこと(無駄無益な有願の消化)をしたくないと思うでしょうが・・・そうすると「生きる」という前進エネルギーを失うことになり、言葉を変えれば、それ(霊魂願望の燃焼)が人生ということで、それ以外に人生はありません。
人間が生きる(前に進む)ということは、好むと好まざるとにかかわらず、有願の魄エネルギーを燃焼していることになります。無駄無益なことであっても・・・(^^)
それは単に精神作用ではなく(修行して燃やすものではなく)、与えられた環境の中で、自分を生きることでエネルギーは燃やされることになっています。
推測するに、幸福願望や出世願望や金持ち願望はそのための餌のようなもので、それもまた受け継がれた魄の欲望の質です。
だから、結果的に実らないのですが、幸福になりたいと思い、お金を稼ごうと思い、現実を一生懸命に生きることが有願の燃焼につながります。
転落すると決まったわけではないのでしょうが、頂点で満たされた気持ちでとどまり続けることはできません。それが前進だけ人間の運命です。
それには次の有願燃焼という人生へつながるという天意があります。
そうして、継承してきた有願(魄)を燃やし尽くすと、次の願い、無願へとたどり着きます。
*紫字はすべて、「原典算命学大系」からの引用です。