またこの図に戻ります。この正反対の時間の動きこそ人生の謎の糸口になるものです。
肉体と霊魂の時間の違いは、肉体(有限)と魂(無限)の違いです。
トータルすると、人間は自然には生きられないってことです。
位は自然を知る感性です。もし高められた位が遺伝的に継承されているとしたら・・・
人は自然に生きられるようになって、人間ではなく霊魂が生きやすい人生になります。
実際には霊魂が生きているのですが、霊魂は人間世界の中で生きたいのだと思います。
地上の霊魂は自然の法則を知りたいために、肉体をまとっているわけではありません。
人間を通して、天界にはない自分の中の隠れた本性を経験したいためでしょう。
つまり、水戸黄門の世界ではないのかと思いました。
水戸黄門であるためには、「位」を示す印籠は大切な付属物です。
でも位が継承されて、正しい世の中になってしまったら、黄門様の出番はありません。
印籠は必要ですが、一代で充分。大事なのは人間的な世界(魄)のほうです。
霊魂が人間を経験したがっているという発想は算命学では語られていません。
ただ、継承された正解(位)を持たないで生まれてくる人間は定義されています。
霊魂が生きる上で、必要なのは、「魄」(人間的な資質)ってことです。
人生が思い通りに行かないのは、人生(魄)が自分だけのものではないからです。
魄が継承されるということは、生きる意味や目的は生まれた時に身につく仕組みです。
それは親や祖父母やご先祖様から受け継いだ魄の中に含まれています。
位が継承されないのは、それが個別的なものではないことも理由でしょう。
人間がみんな位高き人物(水戸黄門)になったら、生きる意味もなくなります。
心が作る私は、個別的に継承されたたくさんの経験が作った今の私のことです。
位のない人間的な経験値が継承されているわけですから、人生の苦難は前提です。
また、位は人生を美味しくさせる調味料でもありません。まったく別物です。
それでも、肉体と位は自然を共有できる唯一の絆になるように思います。
位を上げることだけが、苦しみだけの人生からの救いになるのだと思います。
希望も人生の救いには違いないのですが、それは、次の悲苦の経験前提です。
希望は生きる糧であると同時に、挫折の種でもあります。一見救いはないのが人生。
絶望の淵で苦しむ時、クモの糸(位を上げる道)が天から降りてくるのも人生です。
それをたどる(天を知る)ことだけが、一切皆苦の人生を抜ける方法です。
でも蜘蛛の糸を上るには、人間を脱ぐ必要があるんですよね。重いと、糸は切れます。