心が作る人生はおそらくこういう図になっていると思います。
これは、過去へ向かう人間(肉体)と、未来へ向かう霊魂を合成した現実の今です。
人間とは心なり、という算命理論は、この図のような人生になります。
僕たちは現実を生きているわけですから、実際の矢印は過去を向いています。
でも、心が作る現実はこの図のように未来の希望を生きていることになります。
この図は、二つの正反対の時間を合成した心が見せている虚象の人生です。
現実は本当にあるのかという疑問が生じる理由の一つだろうと推測できます。
少なくとも、未来を目指す現実は自然の法則に反した図であることは確かでしょう。
実際の過去は崩れ落ちる時間ではなく、人間が歩んでいる時間の姿です。
心は、霊魂寄りの人生を作っているということです。そしてそれが正解なのでしょう。
でもその正解は魂を知るという意味での正解で、人間が実感する正解ではありません。
心が作る目の前の現実は、ありもしない未来を生きる糧にする虚象の現実です。
今が過去になるという自然に歩む人生は魄が現実の結果を作っています(火→土→金)
右の心が推奨する魄が魂になる人生は人間自然時間とは真逆の方向へ進みます。
どちらの図も、剋線は悲しみと苦しみを生み出す行程と考えてみました。
どちらにしても魂への道は、苦しむ、悲しむという剋人生からしかたどりつけません。
心が見せている現実は希望を持って未来を生きるのですが、それが苦しみの原因です。
でもそれは、魄が魂へとたどり着くための必要な道で、人生が悲苦に満ちる理由です。
右の図で唯一相生の道は天から参入してくる一代限りの魂を心が受け止めることです。
それによって、人間界の魂の有り方が、魄魂混在になってそれが現実魄へと流れます。
虚象人生がたどりつく精神の結果(南・火)は現実人生の精神の始まりになります。
未来へと向かう心が作るたましいの現実は、魄から魂へと移行する道です。
中央(人間が現実だと感じている虚象の人生)は、魄と魂の葛藤の今です。
ここで魂が、どれだけブレンドされるかによって、左の現実の人生も変わります。