青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

人間vs霊魂⑥・・・「心」は人間の属性ではない?!

魄と魂、これは常にセットで考えるべきこと、という視点を持つことで、霊魂の陰陽関係が見えてきます。
ただ、魂=魄の陰陽同一を実感することは不可能に近いものがあります。この陰陽の極は「神」、陰陽同一が実感できれば、神を知ることができたといえるでしょう。

理性のない情は何の発展も生まない」と前回引用しましたが、表から見ただけでは、あるいは、自分の情について考えても、そこに理性(魂・位)がどれだけ含まれているかなんてわかりようがありません。
陰陽同位と考えると、このアンバランスが諸悪の根源になります。

では、どうやってバランスをとるのがいいか、または、なぜ、アンバランスが生まれてくるのかが問題です。

『国家は理なり。民衆は情なり。その接点において、その時の支配者が民族のとならなけれぱならない』

霊魂が霊魂として(一つのものとして)語られるのは、「心」がそれを統合しているためです。
人間の霊魂も肉体も心が調整し統合しているのが人間の在り方です。

この、「心は空なり」ということが実感としてなかなか理解できなかったのですが、確かに、肉体にも属していないし、霊魂の中にあるわけでもないので、どこにあるのかという問いの答えは、「わかならい」となります。
それでも霊魂と肉体を調整する役を果たし、居場所は天と地をつなぐ接点、という理解でした。
「器械」「機械」という文字をみると、確かにあると思えてきますが、それは働きの名称であって、実際には「空」というのは、固定した働きがあるわけではなく、その都度生まれてくるもの、という理解がいいように思えてきました。
そうやって考えると、日干と心の違いも明白になります。
一般論として心が別にあるというのは、できる発想ですが、算命学には宿命という生まれた時に与えられた干支群があって、それで人生を作っている「日干」という存在があります。それは眼に見えないゆえに、心または自我という認識をします。

 

人体図と呼ばれる霊魂の人間地図は右のように簡略化した形で、星表としてあらわされます。
ここに書かれている、空間の出発点=点、というのは日干のことです。
点からすべてが始まるというのは、応用の利く算命学的真理です。
それは後述するとしてまず、日干と心の関係です。

ここから生まれる霊魂のエネルギーで中核となるものを主星と呼びます。
主星は現実の心であり、日干は精神としての心であり、でもこの二つの心は一つだったとしても人間の中に内在すると思われます。
最初の天と地の中間に位置する「空」としての心とは違うものになります。

日干・主星・心、どれも「心」と呼ばれることがあって、漠然と、同じようにとらえてしまいますが、魂・魄に加えて、三つの心の差異を解明することが、人間解明に近づく道として見えてきました。