青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

人間vs霊魂⑩・・・なぜ、欲は実らないのか

「大変な欲張り」というのは極端ですが、でも、そう強調したくなるほど、知性による欲のコントロールや、欲を捨てることが自然に近づく道と思いこむことへの強い警鐘が込められています。

老子や仏教の教えを処世術的にとらえると、欲をなくすことが自然に近づけることだと思えてきますが、でもそれは、欲をなくしたいという欲になります。
生きることが欲の燃焼なら、無欲という欲もエネルギーになるのでいいのですが、それが魄の望みではなく、人間の賢しらな知性のなせる技だとすると、燃焼すべき欲をため込む不自然な生き方を続けることになり、これもまた、あるとき、大きな不幸を呼び込み、気が付くことになります。
なぜ、有欲も無欲も実らないのか?

算命学を学ぶ人なら、人間も運命も干支で作られていることに異論はないでしょう。
でもその干支は、陽干+陽支、陰干+陰支という陰陽和合しない組み合わせでできていることはつい忘れてしまいます。

人間からすれば、理不尽極まりないことです。
愛を育てて、幸福になるはずの結婚へと向かえたのに、その瞬間から次の結婚生活へと移行し、もちろんそれでも幸福を感じながら、満たされた結婚生活が続くことはあるでしょう。

おなじみの平面五行の十字クロスです。
留まれないという現実の前進オンリーは精神と現実がクロスする中央の今の瞬間を作り出すだけです。
現実はこれしかなくて、それは点的今で、これが栄光の金メダルを簡単に過去にしてしまう図です。

幸福になったり、お金持ちになったり、という人生のポピュラーな望みが叶うのは、天的な瞬間でしかないってことです。
「なったり(なる)」は常に希望でしかなく、それが成し遂げられた時の満足感や充足感がそこにとどまっていないということは、重大な問題です。

「時間」というものは、人間が作り出している前進のエネルギーです。
時間は人間の「願望」によってできているといってもいいでしょう。
あるいは、生命のあるものが作り出す、生きる姿が時間です。

冷静に考えれば、お金や成功というのは、目の前の人参で、それによって人間は走らされているだけで、運良く仕留めたとしても、人参(幸福)を味わう間もなく次の人参がまた目の前にぶら下がっている、それが人生です。そして、それが人生ならこんなに虚しいことに人間は一生懸命になっているってことだと思います。

だから・・・だから人は芸術に感動するのかもしれません。美しい黄昏の絵画に涙するのは、潜む虚しさへの共感。止められない時間が止まる瞬間。
小説やドラマは、実際にはとどまっていない時間を凝縮してとどめてくれているから、現実よりも大きい感動を受けるのかもしれません。

 

 

紫字はすべて、「原典算命学大系」からの引用です。