青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

人間vs霊魂②・・・人生とは幽霊船の船旅!

混沌とした調和の中にある裏干支の世界。
この図(船)が人の数だけあり、歴史の流れを作っていると仮説します。
干支論的に解釈すると、人間の世界は、陰陽和合して漂っている裏干支の海(無の世界)が捻じれて、突然浮上した和合性のないプラスエネルギーだけを持った表干支(船)によって成り立っている、となります。

元々の霊魂は陰陽和合した動きのない、または、あまりにもゆったりしていて、動いているようには思えない世界です。
霊魂は一つの神(自然の摂理)です。
比喩的に想像すれば、それが、なんらかの意図と理由で動いてみたい願望が生じ、そのためには動ける何かが必要となり、霊魂たちの姿に見合った入れ物が用意された、それが人間号という船です。

人間号は霊魂にはない直進するという本性を与えられ、霊魂には持ち得なかった(あるいは潜在する)さまざまな願望、欲求(創造欲求)を満たすための旅に出ます。
そして、それが人間が人生を歩む(前に向かって)原動力になっているといってもいいでしょう。

そして、前に向かうエネルギーが「時間」です。もともと時間があるのではなく、人間号が前に進むことによって生じるものが時間ってことです。
これは存在するモノの本質といってもいいでしょう。
算命学では次のように語られています。

人間の誕生日の意義は「無」から「有」への転生の時であり、時間という万物共通のものを、その瞬間において自分一人のみのものとなし得た時であります。
それは少なくとも個人の財産であり、所有物であるといえるわけです。

人間の存在は霊魂という名の時間的化身です。
万物共通と書かれていますが、神の物ってことです。それが個人に与えられて、使うことができるってことです。

人間は個々が表出する「時間」(干支)という名の船です。その船は個々の人間が運転しているように見えますが、実際に動かしているのは霊魂船長のほうです。
人間とは・・・実のところ、幽霊船といってもいいのかもしれません。

人間が誕生するってことは、時間(干支)が与えられたってことで、それをどう使おうと人間の自由なのですが、それは人間の権利ではなく、神から与えられたという部分は逃れようがありません。
それを大きくするも小さくするも、人間主体で考えると本人の自由なのですが・・・次のようにも書かれています。

しかし、その使い方を決定するのは霊魂であり、霊魂が心に伝達して体内に宿った時間を駆使するわけであります。
この考え方は、霊魂が主人で肉体が下僕なのであり、それを取りつぐ心は執事なのです。そのために干支をもって運命を知ろうとする方法は、従業員の良否を見定めて、主人の質を知ろうとしていることに似ています。

こう考えると、霊魂>人間(肉体)、みたいに思えてきますが、これはそうではありません。

霊魂=人間です。
存在は陰陽によって成り立っていますが、陰と陽はすべてイコールです。

肉体と霊魂というと同じにしてもいいかなと思うでしょうが、男と女というと、両方可視的世界にあるので、違いは明白と思えて、これを同じとするのは、なかなか難しいところがあります。
人間として同じだろう、というのは人間的考え方です。
陰陽説というのは、もっと絶対的に同じでなければいけません。
悩ましいところです^^