王様(人間)が中央に来ることによって、気の流れががらりと変わりました。
これ以降は私見による空想的人生論です。
図右は、王様⇒人間⇒日干と入れ替えて、中央を「日干」とします。
王様を中心に作られた古代社会を、そのまま個人の人生へと移し替えます。
人生とは日干によって構築された、王国の姿ってことです。
人間界自然五行図と人間界人間五行図と、現実も精神も矢印の方向が反対です。
これまでは、中央の五行図を自然気図、右を人間気図(八門気図)とみてきました。
ずっとこれを見比べていて、→←が互いに正反対であることに注意が向かいました。
自然気図は肉体が横線で精神が縦線で、→←を時間と考えてみます。
日干を中心とした立体五行図(右)の→←(時間)は、心の時間の方向としました。
占術的には全く役立ちませんが、時間論、存在論としては面白い見解になりそうです。
本来なら、図左の木火土金水の気は中心を持たずに循環して流れます。
中央の人間界自然五行は、現実横線(肉体)と精神縦線(霊魂)の二つとしました。
通常はこの五行は人間を含まない自然五行となっていますが、それは少しおかしい。
考え方としては陰占だけの(日干も気の一つとしての)人間です。
中央の五行では、人間は東の木性にいると考えてみました。
木性は五行の中でも唯一生命のある気です。
空にあれば木星でこれは古代では歳星とよばれ、年を数える基準の星でした。
地にあっては樹木のことでこれもまた年輪で年を数えます。
人間を配置するとすれば木性しかありません。これが現実のスタート。
現実横線は肉体の歩む道です。精神縦線は霊魂の道です。
矢印を時間の推移と考えてみました。肉体時間は西(終わり)へと流れます。
人間は肉体と霊魂からつくられていて、霊魂は南から北へと縦線を動きます。
これは自然の推移とも一致しています。
図の右は、自然五行図の中央(地)と東(人)を入れ替えたものです。
これは陽占の世界を含み、日干(自分)が人生を作るという本来の人間の姿です。
人間が主役に変わった時の五行の図というのが一番いいように思います。
人間のトップであった王様が中央にきて、土性と入れ替わります。
たったこれだけで、縦横の気の流れはガラリと変わります。
これを中央の自分が作る人生とします。金→剋木→剋土と現実横線が剋線になります。
自分が主役になるだけで、人生が生きづらくなる(剋線になる)ことを示しています。
肉体が作る人生では、現実は東から西、精神は南から北へと自然の時間で流れます。
自分が作る人生では、現実は西から東、精神は北から南と自然の逆方向に流れます。
肉体人間時間とは、占いでは陰占のことです。日干も気の一つです。
日干時間とは、陽占のことで、日干が作る十方世界(星の世界)です。
日干(自分の心)が主役になると、時間は自然と逆行する形で流れるってことです。
一般的に「人生」という時には、右の日干が歩む道を指します。
陰占(左)の人生では、自然通り、始まりから終わりへと時が流れます。
陽占(右)の人生では、反対に過去から未来へ向かうのが人が生きる現実です。
人間は自然の時間に逆行する時間で生きていることになります。
人間の時間は自然な時間エネルギーに対して、逆行していることになります。
現代科学でも、時間が解明できないことの意味は、ここにあるのでは?と勝手な推測。
人間は自然とは異なる特殊な時間を生きているってことです。
時間は自然の中にあるのではなく、人間が個別に作り出しているってことでしょう。
自然をお手本に生きろといわれても、所詮それは無理な話です。
自然に近づくためには、人間が中心から降りなければなりません。
東のスタートから西の終わりを目指すという自然の時間で生きる。
つまり、肉体と心(霊魂)が一致すれば、人生は自然に流れていくってことです。