青い算命学

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スピ算人生論-検証 主星牽牛星の有名人⑤

フジテレビのプロデューサーとして活躍し、同局役員待遇ゼネラルプロデューサー、ヴァージンジャパン代表取締役社長兼務を経て、吉本興業東京本社代表、専務取締役東京本部長などを歴任。
鎌倉女子大学児童学部教授を経て、晩年はフリーの立場で活動した(2011年没)。

横澤さんは、『スター千一夜』、『笑ってる場合ですよ!』、『森田一義アワー 笑っていいとも!』、『オレたちひょうきん族』などを手掛け、低迷していたフジテレビを復活させ、お笑い界のビッグスリーといわれている、タモリビートたけし明石家さんまをスターダムへと押し上げることにも一役買った名プロデューサーです。
倉本さんと同じ丙子で子の比和をもち、十二支が二つと少ないので(偶然の縁が少なくなるので)取り上げてみました。

前橋市で出生したが、父が新聞記者であったため転居・転校を繰り返した。平均2年半に1回のペースで移り住んだ。どこへ行っても東京弁を喋る「東京っ子」として異端視され、いじめられるのは日常茶飯事で、これが「ネクラ人間横澤彪」のルーツとなった。転校が多かったため小学生時代は友達を作らない主義で、すぐ別れが来る悲しさが嫌で人を避けて映画やラジオ番組に没頭していたという<Wikipedia

牽牛星に該当する人物が見当たらず、出来事(転居、ルーツをもたない、いじめられっ子)から生じた自尊心のように思えます。また、それによって後の仕事につながる映画やラジオ番組というメディアに触れる日常を得たことも人生シナリオの一つだったのでしょう。

お笑いの人たちが、子供時代、暗かったり、いじめられたりで、暗から明という変転でお笑いに向かうというのはよく聞く話ですが、横澤さんの場合は東京大学文学部社会学科→フジテレビというエリートサラリーマンの流れだったので、お笑いへの傾斜は仕事上(制作プロデューサー)の立場からのものでした。

同期入社に元同社社長の村上光一、元アナウンサーの松本みどりがいる。横澤自身必ずしもフジサンケイグループ鹿内信隆の思考に共鳴したわけではなく、面接で安保条約について聞かれた際には「何で自分の思いと違う事を答えなければならないのか」と思ったと述べている他、入社式で鹿内信隆の挨拶に立腹し退席しかけたと著書で述べている。

村上さんは同期ですが、フジテレビの社長になった人。どのくらいの縁なのかはわからなかったのですが、横澤さんがお亡くなりになった時の葬儀委員長をつとめたとあったので、それなりの交友関係だったと思われます。

これがまたまた初期無縁。ただ、向き合う形は仲間としてはとてもいい形です。
倉本さんの時と同じように、宿命干合から縁が生まれます。この場合は、同期入社で常に接している可能性も高く、禁じ手かもしれませんが初期に限り使わせてもらいます。干合で大半会縁と羅状縁、またまた干合で今度は横澤さんの領域が大きくなり、村上さんの変化が少ないことを思うと、横澤さんに新たな可能性を引き出したお相手とみていいでしょう。
その一方で、これまで観てこなかったのですが、嫌な感じを受ける影響力の大きい人。
フジサンケイグループに君臨する権力者鹿内信隆さんを観てみましょう。

若手時代には、労働組合運動に関わったことが当時フジテレビ社長の鹿内信隆フジサンケイグループ議長)の逆鱗に触れ、1970年に産経新聞出版局に出向させられるなど辛酸をなめた<Wikipedia

いい思い出はないでしょうが、少なからず、影響を受けたことはまちがいありません。

干合だけの縁で、形もよくありません。影響を受けたという意味では、天将星の壬子の律音に変化させられています。強い自分を曲げない姿勢と、意にそぐわないもの(この場合は権力?)に対する違和感の拡大(律音は妥協できない)みたいなものが植え付けられて、後の型破りのお笑いを製作したと推測してみたくなります。
NHKに反旗を翻した、同じ丙子(律音)の倉本聰さんと通じるものがあります。

横澤は飛ばされた出版局で、同じ業界の光文社の神吉晴夫から「既成概念にとらわれない」ということを学ぶ。フジテレビ復帰後の1974年に『ママとあそぼう!ピンポンパン』で初めてプロデューサーを経験し、1980年に『THE MANZAI』で頭角を現した<wiki

前回の鹿内さんからの影響を権力への反発と推定しましたが、飛ばされたところで出会った大先輩の神吉さん(後の光文社社長)から、既成概念にとらわれない、という学びを得たことを思うと、嫌な人の霊魂にも役割があるのだと思います。
この後、次々とヒット番組を生み出しました。

その導き手となる神吉さん。。。。干合縁一つはいいのですが、この干合は方向を変えますが縁は消します。
そこで、最初の村上さんと同じ日干甲なので、49-14宿命干合が甲子になることに着目、再び掟破りの禁じ手を使って干合させると、律音を生み出し、領域図も見事な重なりをみせます。

その後前述したように、人気番組をプロデュース、お笑いビッグスリーの誕生に貢献しましたが、その時一緒に動いてくれた二人がいます。

1年先輩の日枝久や、信隆の長男でフジサンケイグループ議長に就任していた鹿内春雄らと共に、視聴率低下で苦境に立たされていたフジテレビの立て直しが採られた。

まったく同じパターンですね。
ここまで続くと、干合中にできた宿命虚干合は使わないことにして、初期の宿命干合は他に縁がなかったら使うと決めてもいいかもしれませんね。これまで注意を払ってこなかったので、これから気を付けてみて行きます。
13-8の干合は直接の影響ありませんが、領域図がきれいに向かい合う形になる働きにはなっています。
宿命干合の1と2がそれぞれ大半会を生んで、大半会縁でのつながりを強めています。
横澤さん、神吉さん、鹿内さんのトリオが霊魂の応援を得て、フジテレビの復興を成し遂げたといってもいいのでしょう。

同じように、横澤さんを盛り上げた? 横澤さんに魅力を引き出された、タモリさん、さんまさん、たけしさんの3人を観てみましょう。

これは宿命干合変化を使うことが一目瞭然。月年干合変化は、仕事能力で使われることが多く、多彩な能力やアイデアを駆使する人には使い勝手がいいものです。
横澤さんの甲子・乙丑もたびたび現れていたと思います。

当時見ていた印象では、さんまさんと横澤さんは気が合っていたように感じました。
領域図のように、刺激し合う関係で、変化後を加えても、天剋地冲と納音しかありません。霊魂相性が良いといってもいいでしょう。

向かい合う形で初期縁は十分ですが、干合後が無縁で領域図もいまいちです。
実際どうだったかデータがあると、何か物語を描けそうな気がするのですが・・・

その後、数々の常識を超えた企画や番組を作ってきましたが、1995年にフジテレビを退社しています。

1995年は散法もないし、長年勤めた会社を定年前に辞める運勢ではないですよね。
これは、宿命の子丑に対して、方三位が成立します。自然体で流れるように決まる退職です。

1995年3月にフジテレビを退社した。定年を待たない退社となったが、人間に定年があるのがおかしいと思っており、定年という概念があってはならないとも思っていたと話しているWikipedia

これまで、横澤さんが関わってきた人たちは、既存枠を超えた新しい自由精神を持った人たちで、それは牽牛星の霊魂(役割)に宿核的に宿っていたものと考えられます。
定年という既成概念に反発という意識すらなく、自然にそれを無視して、自分の流れで決断したってことでしょう。
大運としては、日干支納音、月干支天剋地冲で大きく流れが変わりました。

フジテレビ退社後は吉本興業に移り、東京支社長や専務取締役を歴任した。フジテレビ退社から吉本興業への転職に関しては、日本テレビスーパーテレビ 情報最前線』が密着取材の模様を放送した。吉本には当初、長く在籍するつもりはなかったが、後に社長となる林裕章に懇願され、長期にわたり在籍したWikipedia

晩年の流れを決めたのは後に吉本の社長となる林裕章さんでした。

天剋地冲と納音主体の強い霊魂縁で、領域図では、横澤さんが取り込まれている形です。年干同士の干合変化ですが、縁を一掃して天剋地冲を残します。
これは、仕事場の干合変化が林さんの三角形を一方的に変化させる働きです。
実際、林さんの赤は90度近く変化して、吉本の社長(1999年就任)という大役を果たすにいたりました。

横澤さんが残した実績は、お笑い界に新しい風を巻き起こしただけでなく、関わり合った人々の運命にも大きく寄与してきたように思います。