1969年に「アンドレ・カンドレ」としてデビュー。1971年に本名の井上陽水として再デビュー。1970年代には吉田拓郎と並んでフォーク、ニュー・ミュージック界を牽引。その後も現在に至るまで第一線で活躍を続ける、日本を代表するシンガー・ソングライターの一人<Wikipedia>以下青字は<Wikipedia>より引用。
主星司禄星の「庚」は遠く、母の祖母の母。祖母縁はあったようなので、有りえる話ですが、人物不特定でも先祖より伝わる積み重ねられた霊魂の特性とします。
wikiをまとめると、陽水さんの父は高知県出身。井上家は昭和初期には没落。キリスト教の伝道関係の職→神戸で金属工芸の技術者。1940年に朝鮮(京城(現在のソウル))へ渡り、福祉・医療関係の仕事に関わり、帰国してから開業歯科医の免許を取得、同じ歯科医を兄弟・親戚に持つ母と知り合い結婚。開業歯科医をしていた母の兄の地元の福岡県で歯科医院を開業します。陽水さんはそこで生まれています。
父系は没落とありますが、実際にも父系の祖父母縁は×になっています。
住居も母の兄を頼って福岡に来ているし、母系は祖父母まで正干でつながっています。母系の色が濃いとみていいでしょう。
そうなると、司禄星の月支本元(月干にも透干)は母の祖母の母でもいいのですが、実際に、母やその親族がどういう人物かは、まったく語られていません。
小学校時代、子供会や婦人会の集まりで歌わせられることが多々あり、当時から歌がうまいと褒められていた。またこの頃から、8歳上の姉の影響でプラターズやエルヴィス・プレスリーなど洋楽を聴くようになり、ヒットパレード系のラジオに熱中するようになる。
中学3年の時にラジオ番組で紹介された「プリーズ・プリーズ・ミー」に衝撃を受け、以降ビートルズに熱中する。高校時代はビートルズ狂いと周りから呼ばれ、数人の仲間と一日中歌いまくり、ビートルズ漬けの生活を送っており、仲間内のみならず町内でも生粋の音楽狂として名が知られていた。
歌は埋め込まれていたようです。流れにはまるという意味では、日年の準方三位。水性の流れに従って、同じことが繰り返されます。水性は車騎星牽牛星、自我薄のため自分からの行動力は薄いので、打たれて動くことになります。
「東京で勉強して大学入学を目指す。」と父に伝え上京するが歌手となるための活動に専念し、受験活動は行っていなかった。
自作の歌を放送局に持ち込んだ結果、担当ディレクターに認められて「アンドレ・カンドレ」という芸名でデビューします。CBSソニーからレコードデビューを果たしますが、意気込みとは裏腹に、ほとんど売れないまま、第一ラウンド終了です。
ただ、この時期に後々まで交流が続く、仲間たちとの知己を得ます。
アンドレ・カンドレ時代に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝(モップスのギタリスト)、RCサクセションの忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からボブ・ディランを薦められ、以降の作詞に強い影響を受けた。
wikiに出ている縁がある人物との縁の有無を全部見ていこうと思います。
相性というのは、まったく関係ない人でも強い縁があったりするので、少ない例だと、データになりません。クラスメイトは年律音がほとんどで、大なり小なり縁が強い人が集まっています。
アイドルグループとか、年齢が近い人を複数人調べると、共通の領域が集中するもので、それを縁が強いグループと思いこむこともありますが、実際は年番号が近いところ(年齢が近いというだけのこと)には集中するようになっているので、誤解しやすかったりします。
六文銭のリーダー小室等さん。干合縁だけですが、領域図の並びがきれいですよね。
これは、相性でも重要な要素になります。
霊魂呼び出しの干合では戊癸が丙丁変化になります。25と60では24丁亥の律音縁が生まれます。
もう一つ、年干支同士では、13と44になり、陽水さんの日干支24と大半会縁が生じ、丁亥の羅状律音も生まれます。変化後の領域図も良好です。
同じ六文銭のギターリスト安田さん。同年代律音と羅状大半会。干合は木性変化で大きな影響はありません。霊魂縁としてはちょっとものたりませんが、一応縁があって、領域図は干合後も良形です。
星勝さんは、アレンジャーとして有名な人で、小椋佳さんの『彷徨』、陽水さんの「二色の独楽」で日本レコード大賞の編曲賞を受賞しています。
律音が二つ!他にも羅状律音が二つできて、陽水さんがすっぽりと抱え込まれる形の領域図も良好です。
個人的にも仲の良い忌野清志郎さん。これが領域図もいいとはいえず、縁も広がらない干合だけです。
干合変化後の虚干ですが、それぞれの宿命で干合が生まれて、陽水さんの12-57を干合させて、なんとか、大半会と羅状大半会を出現させましたが、形も相性もいまいちですね。相性のほうを信じれば、どちらかが合わせていた(おそらく自我薄の陽水さんが)と考えることもできます。
1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。
この移籍(多賀ディレクターとの出会い)によって、「井上陽水」という名前で活動することになり、初アルバム「断絶」は驚異的な売り上げとなって、陽水さんの名前を全国区にしました。
領域図はいまいちですが、霊魂縁では主役にしたい天剋地冲と納音が成立しています。
霊魂は幾重にも重なっているので、相性の強い剋線で掘り起こされるというのが、根拠になっています。これまでにも、納音や天剋地冲は多く見られました。
干合すると天剋地冲は残って、24-44の大半会縁が生じます。
これ以後、順調な音楽活動でしたが、途中、大麻取締法違反で逮捕されたり、アルバム発売のペースが極端に落ちたり、ツアーを全くしなくなったりと、低迷期もありました。
1982年、バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。
この天剋地冲縁は霊魂っぽくていいのですが、領域図がいまいちですね。干合して納音縁に変わって、縁ある人ではありますが、それほどでもないかなという感じです。
1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名で1997年にリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものといえよう。
この月干支がらみでクロスする天剋地冲は、とても有力な相性に思えます。領域図も何かをかたっている感じがします。これは◎でしょう。
他では、タモリさんとも親交があります。
同郷のタモリとはタモリのオールナイトニッポンにゲスト出演した事をきっかけに親しくなり、「テレフォンショッキング」には計11回、また「ミュージックステーション」、「タモリ倶楽部」、「ヨルタモリ」などにも、殆どテレビに出演しないものの「タモリさんの番組なら」としてゲスト出演がある。さらに「ブラタモリ」のテーマ曲に「MAP」「女神」「瞬き」と書き下ろし曲を提供している。
きれいに二つ並んで、干合縁しかありませんが、このうちの一つが変化すると、見事に律音が生まれます。領域図の変化も大きくて、これは、何か微笑ましい霊魂相性を感じます。
もうひとり、ニュースキャスターの筑紫哲也さん。同じ九州出身ということで筑紫さんはずっと陽水さんを応援していました。筑紫さんの番組「ニュース23」のオープニング音楽も陽水さんが作っています。
干合、天剋地冲、羅状納音と霊魂縁だけでつながっている形です。24-19が干合すると、律音と新たな天剋地冲が生まれて、もともとの領域図はきょりがありますが、干合すると、刺激を与えあう悪くない形を持っています。
これまで主星司禄星をみてきて、そういう人を選んだといえばそうなのですが、人間について原点的な何かが蓄積されているなという気がしました。
個人ではなく、人間です。
だからその人の本職というか、個人的に名を成している部分は司禄星の伏線で、本線は別のところで語っているように思いました。
初期のヒット曲「傘がない」。それまで歌は、なんらかの社会的メッセージを含んでいるか、詩的文学性の香りがしたのですが、陽水さんは、それを一気に個人の歌に引き戻すという強い衝撃を与えました。
歌謡界では阿久悠さんが「僕、あなた」という個人的世界に歌詞を降ろしてきました。
この二人の時代(人間)を観る目、先見性は司禄星の役割なのかなとも思います。
陽水さんのもう一つの人間への見識は、リバーサイドホテル(歌詞は著作権なんたらがあるので部分だけ抜粋)。
この歌でなくてもいいのですが、好きな歌で、たまたまタモリさんが、陽水さんは重複が多いという話をしていて、この歌の「金属のメタル」「リバーサイド 川沿いリバーサイド」とかです。
サザンの桑田さんもそうなのですが、あえて意味を削ぐんですよね。歌詞って、詞の言葉で意味を語るものではなくて、メロディーがあり、アレンジがあり、陽水さんの場合、そこに脱人間的なメタリックな声(まるで霊魂がうたっているかのような)があって、それで言葉の何十倍もの世界を魅せている虚構的な芸術なんだと思います。
それを司禄星が語る意味は、人間も歌と同じで、部分的には人生も幸福も名誉も金も意味も価値もなくて、それは金属の「メタル」なんですよね。プラグが抜いてある「シャレタテレビ」です。どうせふたりは飽きて途中でやめるんですよね。
陽水さんの歌の世界にはどこかニヒルな虚無感と(重複だ^^)倦怠感がただよっていて、それを歌唱が美しくしているように思うのです。まさに人生そのものです。
これが陽水さんの霊魂(司禄星)が語りたいことなのかなと勝手におもっています。