青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

スピ算人生論-検証 主星牽牛星の有名人④

脚本家、劇作家、演出家。父祖地は岡山県。分家した祖父の代で東京に進出し、家は代々医学雑誌の出版や新薬の販売を手がけてきた。父は自ら興した自然科学系の出版社を営む。母は後妻で、両親はともにクリスチャンだった。
東京大学文学部美学科を卒業後、ニッポン放送を経てフリー。テレビドラマの脚本家として活躍。東京から北海道へと居を移し、『前略おふくろ様』『北の国から』など多くのヒット作を生み出した。主宰した「富良野塾」にて26年間にわたり後進を指導。

月支1気の牽牛星。父系祖父が実干で該当するのですが、祖父は医学博士とあって、直接医学には関係ない分野へと進んだので、これも役割意識が埋め込まれた牽牛星になりそうです。

中学時代より加藤道夫に私淑して演劇に夢中になり、2年続けて浪人。東京大学に合格後もほとんど学校に行かず、俳優座のスタジオ劇団「仲間」の文芸部に所属して戯曲を書き始めた<以上、Wikipedia

ガーーん! 最初に影響を受けた人物だったのですが・・・無縁。領域図も他人のような位置にあって、ここまで極端な例外は欲しくないので、カットしたいのですが、脚本家になるきっかけを作った人なので、何もなくて終わるわけにもいかず、掟破りのありえそうにもない相手の宿命霊魂干合という荒業で律音と羅状納音を生み出しました。
領域図を見ると、加藤さんのほうが中学時代の倉本さんへと急接近。霊魂様なら、このくらいの大技をやることがあるのかなという程度の参考にします。

ただ注意したいのは、倉本さんは小さな三角形で律音があって、縁がつながる干支が二つしかなく、確率的にも少なくなるので、この霊魂縁検証が、単に確率的に起こりうる可能性の範疇だったら、偶然を必然にすり替えていることになるので、意味がなくなります。
それを検証するには狭い二干支の倉本さんは、絶好の検証材料です。
今後も親しい人なのに無縁がでるようだったら、霊魂相性やめなければなりません。

倉本さんの資料として、倉本聰「見る前に跳んだ 私の履歴書」という本があるのですが、その解説文より、親しかった俳優の名前をピックアップしてみました。

純と蛍の成長物語「北の国から」についての説明は不要だろう。「時代と寝る」作家が多い中で貫いた反骨精神は、生い立ちから現在の自然保護活動まで一貫している。
語られる数々の製作秘話や高倉健八千草薫ショーケン田中邦衛から岩城滉一桃井かおりまで深く関わった名優たちとの想い出、ゼロから切り開いた富良野での生活と若者たちとの芝居づくり……かつてのテレビに、日本人は何を見ていたのか、それが言葉になっていることがこの作品の最大の魅力である

ここに書かれている「反骨精神」は倉本さんの霊魂課題のように思います。また、自然保護活動は、医学や自然科学系の出版を手掛けてきた父系の流れを感じさせます。

 

干合しかなくて、次に共通縁や羅状が生じるケース。これは霊魂縁の形として登録していいように思います。

 

これは干合と天剋地冲だけ。単に霊魂縁というよりは、現世で離れていた二人が干合するたびに姿を変えて、重なり合っています。
前世夫婦だったのではと思いたくなる変化図です。
実際、八千草さんとは親しい友人で、家族ぐるみの付き合いという記事もありました。

 

ショーケンさんは領域図はいい形で向き合っていますが、無縁でした。

 


これも、干合から羅状律音と霊魂条件に合っています。田中さんは面積が半分になって倉本さんも広がりを得ています。
田中さんは、この前に、加山雄三さんの「若大将シリーズ」で青大将としての役柄が定着していました。

会って『青大将は全部やめてくれ』と言いました。邦さんの芝居ってオーバーでしょ、割と。だから、ああいう役はもう捨ててほしいんだ、と、もう昔の田中邦衛じゃなくて。こういうリアルに寒い土地で、もっと情けないんだ、と。そういう役にしてくれって僕は頼んだんですね。そしたら『俺から青大将取ったら何もねえじゃねえか』って言われた。しょうがない、そういう役なんだからって。
最初はちょっと不満げでしたよね」と倉本さんは語っていましたが、出会いによって変化している様子がうかがえるので、霊魂縁と観ていいでしょう。

 

ちょっと寄り道して、加山さんと田中さんの縁です。加山さんが若大将シリーズの成功は青大将のおかげと語っていたので、相乗効果は大きかったと思います。

 

干合縁が二度続いて、三回目で途切れています。
北の国から」で倉本さんから厳しい指導を受けて恩師と慕うようになったと語っています。
ただ、ある時富良野で飲みに誘われて、二人で入ったお店でからかわれて、大喧嘩をして(岩城さんは元暴走族のリーダー)それ以来、倉本さんからの誘いがなくなったと語っていました。図もそれを物語っているのかもしれません。

 

もう一人、東大時代の仲間、映画監督の中島貞夫さんとは、ギリシア悲劇研究会にともに所属していて、中島さんの初期監督作品の脚本を手がけています。

同級生縁で干合もあります。最初の領域図が形が良く、干合すると、立場が入れ替わるような変化になり、大半会と、羅状律音も生まれて、実際の関係通り強い縁で結ばれているといっていいでしょう。

6旬の天剋地冲は日支も同じ形で、何か変化がありそうですが、大きな変化としては、その前の1984年にあります。

若手の俳優と脚本家を養成するために、1984年に、富良野市布礼別にて「富良野塾」を私財を投じて開設し、26年にわたって主宰した<Wikipedia

また、1986年、監督・脚本を担当した映画『時計 Adieu l'Hiver』が公開されましたが、後に、この時の経験から「もう二度と監督はやらない」と述べていて、実際にこれ以降は1本だけ公開されて、終わっています。その分、舞台やドラマの脚本は続けてやっていました。

狭い領域の二干支でしたが、縁のある人とはそれなりの相性が表示されていたので、もう少し、検証を続ける意味はあるのかなと思えました。