青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

人間vs霊魂⑯・・・仏教の立体五行観その2

算命学と同じ原理を説いていますが、3つのラインの解釈と関係性は微妙に違っています。それでも、宗教的な意味合いではなく、算命学と同じように極めて論理的に説明されています。
横線(物理的自然的)=人間の動物的側面。自然界の生き物としての人間。
縦線(知性的道徳的)=もっとも人間らしい側面。知性による分別で出来上がる世界。

第二線の知性的・道徳的は第一線の物理的・自然的へ還るわけに行かないのです。それはなぜかというに、第二線の特徴は第一線から脱離したというところにあるので、そうして一旦の脱離は永遠の絶縁である。人間は動物に還るわけに行かない。

算命学では、精神と現実の交点に人間がいるわけですが、仏教の立体五行では、独立した線としてとらえられています。
人間的縦線と動物的横線の対比は、動物から離脱して人間という別の知的存在になったというとらえかたのようです。

僕は仏教は門外漢で、解説本は別にして、ちゃんとした本は『仏教の大意』一冊しか読んでいないので、誤解もあるかもしれません。そのつもりでお読みください。
そして、この縦横関係だけを考えると、いったん知的、道徳的世界を創る縦線人間になると、動物的横線には戻れないってことのようです。
これは算命学の横線とは異なる視点なので、それはそれで理解します。

が、第三線霊性的からは第一線へ移ることが可能である。場合によると第三線はそのまま第一線になったように見えることさえあります。
三線の特異性は絶対的受働性、または絶対的憑依です。
この点で第三線と第一線とが円融するのです。風が吹くと木は倒れる、風は倒す力に誇ることをしない、木も倒されたといって風を恨まない、風は吹く、木は倒れる、それだけである、無心で無念である。「御心の如くならせ給え」である。第一線と第三線ではこの面で相応するものがある。

第一線は動物的(自然的)世界です。算命学でいうところの現実横線ですが、仏教では自然の世界として設定されています。
こうした設定の仕方は算命学とは異なるのですが、霊性的世界(第三線)が自然現象と同じ現実を作るというのは、まさに、という共通点だと思います。
仏教的な自然観になりますが、算命学では、おなじような現象で現実が作られるという事です。

無願の世界に近づいても、会社はあり、サラリーマンなら会社に通います。
知性の分別を越え、我執が削がれるほど、人間的仕事が自然現象の如く片付く世界をイメージするのでしょうね。
風が吹いて気が倒れる如く仕事をします^^

こういわれても実感できませんよね。大拙先生もこれは見かけだけの比喩で、大事なことは「即非の論理を最も生き生きとした方法で、その身の上に活躍させるということ」と語っています。我々凡夫には無理そうな世界です。

仏教用語はとにかく難解です。独善的置換をしていくので、間違っているかもしれませんが、そのつもりで、各自も考えながら読んでください。
即非」とは色即是空の「即」です。色(現実)と空(根源)とがイコールという事です。即非とは瞬間的にイコールという事で、不可分な同時性のことです。
算命学の陰と陽が同じという陰陽説の、究極の解釈だろうと思います。