青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

スピ算人生論-検証 主星鳳閣星の有名人②

イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の4人目の令嬢として誕生。1977年、ダイアナの姉セーラ・スペンサーの紹介が基となってチャールズ皇太子(当時)とダイアナは1981年7月に20歳で結婚。二人の王子を授かる。しかし、婚約当初からのチャールズ皇太子とカミラ夫人(当時)の不貞問題により夫婦関係は悪化し、1992年12月からの別居を経て1996年8月に離婚が成立。
離婚後は慈善活動等に積極的になり、多くの英国民から慕われた。しかし、1997年8月31日未明にフランス・パリ市内で大富豪ドディ・アルファイド氏との交際関係が浮上し、執拗なパパラッチからハイヤーを猛スピードで振り切ろうとした車体は交通事故を起こした。瀕死だったダイアナは収容先の病院で4時間後息を引き取った。

ダイアナ妃が生まれたスペンサー家は17世紀以来続く貴族の家系です。両親は、1969年に離婚しています。ダイアナさんら子供の親権は父親が獲得しています。

貴族の家系で生まれ育って、主星鳳閣星が何を感知したかは不明なのですが、結果的に、自分の両親と同じように離婚をしたことと、その後、ボランティアの世界を生きがいにしたこと、この二つが、鳳閣星が身に着けたことかなと想像します。

皇室ということで、家系の流れが明確になっているので、六親法図と比べてみようと思います。

霊魂ベースで観るとやはり正干でいいように思います。その場合、日干が陰干か陽干かによって、パターンは二種類に決まるのですが、むしろそうやって固定して、実干との違いを「霊魂と現実の違いを観る」という観点をもつと、新たな見方が出てくると思います。霊魂=正干は算命学的にも根拠のあることです。

・影星(年干との干合干を守護干に見立てる)。これは命式にその干がなくても充当されるので、正干的な考え方です。

・大運守護霊気(大運運勢干と干合・暗合する命式の干があると、それを干合変化させた干が守護霊気となって窮地に陥った時に助けてくれるというものです。
これも、干合変化した干の正干の人物を六親で探します。

・大運運勢干(命式にない干が大運で巡ってきた時、その人物との縁が強まります)。これも「その人物」とは六親の正干を充当します。
大運そもそもが霊魂の動きを示している虚現実という考え方もあります。
ダイアナ妃は父系の霊魂の影響が強く出ています。

wikiには次のような記述もあります。

幼い頃のダイアナは祖父アルバートのオールソープ邸へ行くのが怖かったという。自分の方をじっと見ているように見える先祖の肖像画がかかった薄暗い廊下など、幽霊が出てきそうな雰囲気の場所が多数あったためという。また祖父と父エドワードの関係が悪かったのでダイアナは祖父を怖がっていたという

肖像画の父系祖父は月支の「己」でここには、父の正干「丁」と二つ並んでいます。仲が悪い二人がここにいて、主星の鳳閣星はこの禄存星へと流れます。肖像画の人物からボランティアの精神を受け継いでいるのかもしれません。

もう一つ、ダイアナ妃の両親が離婚した時、ダイアナ妃の母(癸)の母(辛)は「離婚は険悪なもので親権をめぐって激しい争いとなり、ダイアナ妃の母フランセスの実の母親は彼女に反対する証言をした」となっていました。正干父の霊魂(丁)が母の母(辛)を激剋して味方につけた?という空想も生まれてきます。

 

愛知県名古屋市で生まれ育つ。父親が一代で会社を築き上げたため8歳までは裕福な生活だったが、9歳の時に父親の不倫をきっかけに両親が離婚し、母親の両親や姉妹が住む岡山県津山市に転居した。母親はスナックで働きながら河本を育てた。
やがて母親は再婚した。新しい父親は河本と年の同じ連れ子の息子とともに家に越してきた。しかしその父親は「朝は明るくハキハキとしているが、夜になり酒を飲んだら一変する悪魔みたいな人」であり、河本と自分の息子を頭から風呂場に突っ込んで殴ったり、何度も包丁を持って追いかけ回された。母親も「このままでは殺される」と思い、河本が小学6年の3学期に父親不在の時を見計らって〝夜逃げ〟した。母親の姉とともに岡山市内へ転居した。
岡山市立京山中学校に入学した河本はいじめの対象となり、放課後に加害者から逃れる場を作るためにバレーボール部に入部した。バレーボール部に在籍していた番長格の不良少年が河本を気に入り、いじめをやめるよう他の不良少年に命令したことで河本はいじめから解放された。2年生になると野球部に転部し、後にコンビを組むことになる井上聡と出会った。
中学時代、河本の母親はキッチンドリンカーとなり、料理を作りながら泥酔状態に陥るのが常だった。河本は、酔った母親のボケにつっこむ生活を送ったことが自身の「お笑いの素養」となったのではないかと振り返っている。
河本曰く中学校時代の偏差値は23で、高校進学を強く希望しなかった。しかし日頃放任主義である母親が進学すべきだと強硬に主張し、最終的には進学を希望した。担任の教師が奔走した結果、定員割れの工業高校が見つかり、高校進学が決定した。

河本さんは、いじめから逃れるために始めた運動部でコンビを組むことになった井上さん山下さんと出会って、高校卒業後三人で吉本に入っています。
NSC入学に際し河本は、「芸人として売れたら、母親と母親の姉妹一家が一緒に住めるような大きな家を岡山に建てる」という目標を掲げた

両親の離婚、母子家庭での貧しい生活、いじめ、母の再婚と新父の異常な暴力、酒におぼれる母・・・主星鳳閣星が観た両親のありようは、異様な出来事ばかりでした。
まずインプットされたのが、母とその姉妹の苦労を軽減させることでした。

2012年5月、都内で母親の生活保護の受給について謝罪会見。これ以降テレビでの仕事が激減する。同年からはボランティア活動、2017年からはSDGs推進活動、2019年には米作りに参加し翌年から自身がプロデュースした国産米『準米』を発売するなど、お笑い以外の取り組みにも挑戦し活動の幅を広げる。これは病気療養や騒動による人生観の変化が影響している事を語っている

SDGsというのは「貧困に終止符を打ち、地球を保護し、すべての人が平和と豊かさを享受できるようにすることを目指す普遍的な行動」ということで、自分と同じ経験をしている弱者救済へと動いている。年金の不正受給の発覚から仕事がなくなり、人生が激変したのですが、その原点は鳳閣星が実感した子供時代の生活苦や家庭内暴力にあるといってもいいでしょう。

また、自身がプロデュースした国産米『準米』の発売も食べることに苦労した子供時代ゆえの取り組みだと思われます。

ボクはお笑い芸人やから、しゃべりに加えて、お米でも笑顔になってもらえたらいいな、と。でも、ただ卸とか宣伝をやるんじゃなくて、プロデュースとうたう以上は田植え、追肥、稲刈りとか米作りも手伝おう、と思ったんです。本業のお笑いの仕事の依頼を断って休んで、一緒に連れて行く後輩芸人の交通費もボクが自腹きって。なんでそこまでやるのか? やりたい、と思ったからです。やりたいと思ったことを、先送りしないようになったんです

始めは偽善とかお笑いに戻りたいがためのパフォーマンスとみられていましたが、主星鳳閣星の体験をものさしにすると、お笑いは手段で、SDGsやお米のプロデュースのほうが本来の役割だったのかと思えてきます。「やりたいと思った」というのは、そう思わせる霊魂の働きなのかなと・・・

病気も母親の問題もなく、あのままテレビにガンガン出続けていたら、今、挑戦できている世界を知らないまま、いつの間にかあきられて……ってことになってたかもしれません。そう思うと不思議な人生。あのままいってたのと、今とどっちが良かったか。死ぬ前に答えが出るんでしょうね

正干六親図を作ってみました。緑の太字が、月支です。
両親透干で両親縁が強いです。父も父の場所で正干ですが、月支と東西現実に二つあって、母の再婚は暗示されています。乙は父の正干ですが、本元の戊癸暗合は先祖縁としては、母の父の母と母の父の父です。人物像等はわかりませんが、母の霊魂継承という意味では、乙は、母の母の母の母、という見方をしたくなります。

 

6代目 桂文枝(河村家)の先祖は武家。祖父・靜衛は日露戦争奉天会戦に兵卒として参加し、除隊後にその功績で得た金鵄勲章の年金を元手に大阪で薬問屋を開業。生後11か月で、野村銀行(現:りそな銀行)の銀行員だった父・清三は戦地に赴く前に陸軍病院(現在の大手前病院)にて肺結核で死去。文枝は2013年に父の遺骨と対面してから、父と陸軍墓地を題材にした「しあわせの進軍」という創作落語を作っている。戦争中は堺市内の親戚の家に母と疎開していたという。
母はその後、静也(文枝の本名)を引き渡して離縁するようにという河村家の話を拒否して出奔し、大正区に隠れ住む。文枝の回想では当初は母は材木工場に住み込みで勤務、次いで静也を兄の家に預けて旅館で働いたという。

大阪市立の小学校、中学校を経て、大阪市立市岡商業高等学校に進学した。高校ではレツゴー正児と2代目桂春蝶の下級生で、当時から付き合いがあった。市岡商業高校では演劇部に入部。先輩の直井正三(のちのレツゴー正児)に触発され、同級生とともにABCラジオの『漫才教室』に出演して賞金を稼ぎ、早くも大阪では名の知れた存在になった。
高校卒業後、関西大学商学部第二部商学科(夜間部)に進学。3代目桂米朝の口演を聴いて、落語に興味を持つ。一時期、卓球部に在籍したのち、1964年に創設間もない落研(通称落語大学)に一期生として入部、ロマンチックをもじった「浪漫亭ちっく」の芸名で、アマチュア落語家として活動する。

生まれてすぐに父を亡くして、母子家庭で苦労して育っています。ちょうど終戦の2年前に生まれていて、父のことも知らないまま、母と共に戦後の大変な時期を過ごしてきました。
主星鳳閣星は当然戦後の混乱の状態や母との生活苦から、戦争が焼き付いていたと思われます。

正干六親図(勝手に名付けて霊魂六親図)でみると、縁の薄かった父と父系祖父の霊魂に挟まれて自分がいるという形に見えます。
現実では、日支で母と兄弟が支えです。母はまさに、支えだったでしょう。父の場所に龍高星母がきています。一人っ子だったので、乙亥が絡みつく「甲」では、兄弟の代わりに、落語が入ってきたのではと思います。

「一人っ子だったものですから、今と違ってゲームもないんでラジオでした。小学校6年生の時『お父さんはお人好し』という公開録音を見に行って『楽しいな』と・・・僕のような、その頃 小学生の“子供が憧れた芸人”というのになりたいな――と。子どもからお年寄りまで好かれる、芸人になりたいなと思ってきましたね」

昭和世代では、ラジオが友達という時代は確かにありましたね。この時に、ラジオで落語を聞いて楽しかったから、というのではなく、「小学生の“子供が憧れた芸人”というのになりたいな」と感じるところが主星鳳閣星の環境の身に着け方なんだと思います。
父と父系祖父に関しては次のように語っています。

「母は父に関する話を一切、しませんでした。自分が結婚して父親になってから、どういう人だったのか、どんな思いで軍に入ったのだろうと考えるようになりました。父は召集される前は銀行員で、同僚だった人たちによると、寄席に通ったり、落語をしてみせたりと、ひょうきんで明るい男だったそうです。お笑いの世界に自分が引かれていった理由がよく分かった気がしました」

「それまで父の存在は漠然としていて「本当におったんかな」という感じでしたが、実際に遺骨を目にして「やっぱりいたんだ」と、胸に突き刺さってきました。小さい子どもを残し、どんな気持ちで死んでいったのだろう。想像すると悲しかったですね。戦争は本当に悲惨なことだとつくづく思います。戦争に関する本を読んだり映画を見たりする機会も多いですが、なぜもう少し早くやめられなかったのか。原爆が二つ落ちてからでないとやめられなかったのかと思いますね。落語で戦争を扱うのは難しく、これまでは避けてきました。笑いの中でどこまで伝えられるのか。でも、戦争によって人生が変えられた人間として語り継がないといけない。そう思い、父の遺骨が見つかった旧陸軍墓地を舞台にして父のことを取り上げた「しあわせの進軍」という創作落語を昨年、作りました。戦争は起こしてはいけないと笑いの中で伝え、お客さんの胸の中で「そうやなあ」と感じてもらえればと思います」

主星鳳閣星が父の正干なので、記憶にない父への思いを強めているのは、霊魂を継承していると考えていいように思います。