青い算命学

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スピ算人生論-検証 主星鳳閣星の有名人①

鳳閣星には生家での出来事がどうであったかだけでなく、心情的な事が入ってきます。

そのため、ネット情報では微妙なところには触れられないことが多いです。

主星鳳閣星の場合は、次の3点を観て行きます。

・情に流されることはなく、生家の現実を冷静に観察します。
・現象的には両親や生家の傾向をそのまま身に着けるようになります。
・内容的には情的に両親に与したり、単に跡を継ぐのではなく、本質を身に着けます。

 

母は演歌歌手の藤圭子。父は音楽プロデューサーの宇多田照實。1998年末、15歳でデビューし、1stシングル「Automatic/time will tell」は、ダブルミリオンの大ヒットを記録。1stアルバム『First Love』は、累計売上枚数765万枚を超え、日本国内のアルバムセールス歴代1位を記録したほか、2ndアルバム『Distance』では、初週売上枚数が歴代1位となる300万枚を記録。

家族の生活は、音楽を中心に回っていたといい、小学生の頃から、スタジオで宿題をしたり、ご飯を食べたり、ソファで寝たりしていた。その中で、「光、ここちょっと歌ってくれない?」と頼まれ、親の楽曲で歌うこともあった。
1990年、藤圭子宇多田照實宇多田ヒカルの家族3人ユニットを結成。当時10歳の宇多田もボーカルとして参加し、スタジオ・アルバム『STAR』をセンチュリーレコードよりリリースし、日本デビュー。またこの頃、「自分で作ってみたら」と言われ、楽曲「I'll Be Stronger」を作詞・作曲している。

母の藤圭子さんは、日本でも一世を風靡した演歌歌手です。アメリカで生まれたってこともあり、また、父親の音楽プロデューサー・宇多田照實さんの影響もあって、独自の感性の音楽で衝撃的なデビューを果たしました。
生まれた時からプロの音楽が日常生活の中にあって、主星鳳閣星はその音楽を実感しながら育ったことになります。

霊魂的な継承では、正干実干ともに父と父系祖父の影響を受けていると考えられます。
父の照實さんは、若い時にアメリカに渡ってミュージシャンをしていたという記述もありましたが、はっきりしているのは、藤圭子さんのマネージャーをしていたということで、前歴は定かではありません。
それでも、この父子は命式を見ても強い因縁を感じさせます。

日干支律音親子で、二つの天剋地冲があり、干合も羅状干支もあります。
主星鳳閣星が無意識に観察していたのは、父の方かもしれません。

インタビューで「誰の期待を裏切ることが一番ハードか」と問われた彼女は「母親の期待」と断言。一方で父親については「彼もミュージシャンですけど、どちらかというと感謝しているのは教育上の協力というか」と答えるにとどまった

このあたり、同じ夫婦同士で何度も離婚再婚を繰り返してきた両親の姿を冷静に観察した結果なのかもしれません。ただ、それとは別に、ミュージシャン宇多田ヒカルは父の霊魂の系譜を受け継いでいると思われます。どこかで日干支律音親子の近親反発的な何かが働いていて、本人も理解できない複雑な心境を抱いていたのかもしれません。
ちなみに、母と娘とは無縁の親子関係でした・・・

 

1968年、京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」、「くそくらえ節」、「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。その内容から、多くの曲が放送禁止となる。
一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、勤労者音楽協議会との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3カ月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発した。
父の岡林勝治は新潟県の出身で、30歳まで新潟で農業をしていた。しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し、滋賀県の紡績工場に就職。その時期に宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズに出会い、牧師となるため大阪の神学校に通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を建てた。

当地で信康は生まれる。1966年に同志社大学神学部入学。牧師を目指していたため、音楽はクラシックか讃美歌だけしか聴かず、他は全て悪魔の音楽と思っていたという。熱心なキリスト教信者であったが、実家の教会の不良少女の扱い(お祈りをさせないなど)に疑問を感じ「脱出」、その後社会主義運動に身を投じる中で、高石ともやに出会いギターを始める。

異色のフォークシンガーでした。主星鳳閣星は父を観察して育ったようです。それもかなり強い影響を受けています。父というよりも、父の信じていたキリスト教を身に着けて育ちました。鳳閣星の冷静さとしては、父の教会運営のやり方に疑問を感じて、社会主義運動に参加しています。当時のフォークソングは、反戦活動・学生運動と共にあったメッセージ・フォーク的な色彩が濃く、いわゆる歌とは一線を画する、リアルなメッセージを語っていました。岡林さんが出会った高石ともやさんは、そうしたフォーク界の元祖的な存在でした。
父の影響で身に着けたキリスト教は宗教ではなく、人間とは何かというまさに人間の本質の探究だったように思います。そうした観点でみた現実の社会は、人間を失ったつまらない社会に見えて、自由なヒッピー生活に憧れた時期もありました。

やがて岡林は人や街を嫌い、被害妄想、及び自閉症が進行、三重県で農業共同体を営んでいた山岸会に傾倒、自然の環境に身を置こうと岐阜県中津川近くの山村に移り住み、約1年後京都府綾部市の総戸数17戸の過疎村に居を移し農耕生活を始める

これも挫折して、再び歌の世界に還ってくるのですが、次は演歌に感動して、演歌を歌う岡林信康という時代もありました。歌い手ではあり続けましたが、内容は紆余曲折を繰り返しました。
でも、一貫しているのは、子供時代に身に着けた人間の本質の探究だったと思います。

霊魂的見地で命式を観ると、鳳閣星は父の正干ですね。その後の父については言及がないのでわかりませんが、父系の魂を継承していることは間違いないでしょう。

 

満洲奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)から小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中。高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。1953年、に高校を中退して上京し、第5期生として俳優座養成所に入所。

この後、俳優から歌手になって、地方巡業など下積み生活を送り、目が出ない中、同人誌に応募した小説が掲載され、そこから作家生活に入りました。
この履歴からは主星鳳閣星が何を観たのかはわかりませんが、父が亡くなる前の満州時代の戦争体験を語っているインタビューがありました。

昭和20年8月のソ連軍(当時)の満州への突然の侵攻。いっぱしの軍国少年だった三木はソ連軍が奉天近くまで迫ってきてなお、「満州には最強の関東軍がいる。日本が負けるはずがない」という大人の言葉を固く信じていた。ピストルとナイフを持って突然、三木の自宅に押し入った2人組のソ連兵はまだ10代の少年に見えた。両親は外出中で、留守番をしていたのは10歳の三木と若い叔父さんの2人だけ。「殺される、と思って震え上がりましたね。囚人上がりの兵隊だったらしく、手の甲に入れ墨があるのが見えました。叔父の腕時計とミシンを奪って出ていきましたよ」以来、危険を感じた三木の一家は、祖父の大邸宅に一族30人が固まって潜むことになる。そこへもソ連兵はやってきた。三木は床下に隠れ、末の弟を産んだばかりの母は、頭を短く刈り込み、男のふりをした。ソ連兵による有無を言わせぬ殺戮、強奪、暴行、レイプ…楽園から地獄へと暗転した日々のなかで、祖父が一族を集め、全員の前で謝罪をしたと聞いたことが三木には忘れられない。
「ワシの一存で、こんな所(満州)へ皆を連れてきて本当に申し訳なかった。これから苦労をかけるだろうが、許してくれ」大邸宅やアパート群、教師としての名声-。長い時をかけて築き上げたものが一瞬で消えてしまうだけではない。一族まで巻き込んで…。祖父の目には涙があふれていたという

ここにある、祖父というのは、母系の祖父です。お金持ちだったようで、満州に邸宅をもち、三木さんのご両親はここで生活していました。
この時の戦争体験がおそらく、三木少年の主星鳳閣星に深く刻まれたと思います。そこで観察した本質は、国は嘘を言う、戦争の残酷さでした。

僕は中国の満州で生まれ育ちました。その当時「天皇は神様」と習ったので、戦後「人間宣言」したときは変な気がしましたね。「だまされてたんだ」と。政府というのは、権力の維持やいろんな都合で、国民にウソをつくんですよね。例えば当時、満州事変とか支那事変とか言いましたけど、あれは戦争なんですよ、全部。言い換えた、隠したんですね。だから、だまされちゃいかんですね。言葉を変にあやつるときは、危険な、何か具合の悪いことが裏にあると思わなきゃいけない。
人間は本来、戦争が好きなんですよ。戦って勝つというのは大きな喜びで、優劣や順位をつけたがる。僕はドラマ作者ですが、ドラマの終わり方は二つしかない。一つは敵に勝つか負けるかで、刑事ものとかスポーツものなど。もう一つは愛情が通じるかどうか で、メロドラマとか友情ものです。人間の喜びは、突き詰めると、この二つ。さらに突き詰めると、二大本能。一つは種族保存本能。これは性欲で、あと自己保存本能。これは食欲系ですが、そこに行き着きます。そうすると、敵に勝ちたい、人の上に立ちたいというのは、重要な食欲系の欲望であり、喜びなんですね。昔の英雄、指導者などはみんな闘争系で、強い人です。しかし、いま核戦争で地球が破滅するところまで来てしまった。だからもう、敵に勝つという喜びをゲームとか、スポーツなどに振り向けないといけない。武力で勝ち負けという時代はもうなくなるべきですね。国の指導者も、世界と仲良くしたいという人をどこの国でも選ぶべきです。戦争好きや、名誉欲、出世欲の 強い人をトップにしてはいけない。人間は、欲望にブレーキをかける装置として、宗教とか、あるいは規律とかつくった。これは人間が偉いと思うんだけど、その装置に憲法も入っている。
国家は軍事、宗教や民族などで対立するけれど、唯一対立しないのは文化です。外国の小説を読んだり映画を見て、相手の国をよく理解していると、敵意を持つ とか、戦争にはならない気がします。文化は力を持っているんですよ。僕は、人間はみんな「歴史の中継ランナー」だと言っています。先祖からの恩恵を受けて、文化遺産をバトンタッチされて、今ここにいる。でも私たちが子孫 に、悲惨なバトンを渡そうとしているのは申し訳ない。何とかしなきゃ。そして憲法九条は誇りを持って伝えたいですね。

長い引用になりましたが、鳳閣星が子供時代に感知した事柄が原点になっています。これが三木さんの戦争体験から生まれた役割だろうと思います。脚本家として多忙な日々の中、積極的に全国各地の九条の会(日本が戦争を永久に放棄し戦力を保持しないと定めた第9条を含む日本国憲法の改正阻止を目的として、結成された社会運動団体)などで戦争と憲法について発言し続けています。

主星鳳閣星は父ですが、印象に刻まれた母系祖父は直下の戊で月支本元がその戊を生じた丁(母の父の母)です。六親の正干と霊魂の関係、思い付きでみてみましたが、これから注目してみたいと思います。