青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

人間vs霊魂⑱・・・大都会で自然に生きる

なかなかぴったりのイラストがなくて苦労するのですが^^、自然が導きであった原始時代がありました。
朝陽と共に起床して、日没とともに就寝し、おそらく、自生している木の実やイモ類のようなもの、時には狩猟に近いことをして、生きていたと思われます。
もちろん、それ以前の生活もあったわけで、遡るほどに、自然が与えてくれたものが糧だったと想像できます。
自然そのものが神だった時代があったということでしょう。
人間は自分がジャッジすることなく、自然の一員として生きていたと思われます。
名前など必要なかった時代です。

その自然生活からの離脱は、人間に知恵が生まれてきたことによるのでしょう。
それは聖書のエデンの園で、「善悪の知識の実」を食べたアダムとエバが楽園を追放された姿と重なります。

まず、変化するのは食糧です。自然の恵みの不確実性、安定供給できる食物を求めるようになることは想像できる範囲です。

人間の原型は、農耕民族からといってもいいでしょう。農業や狩猟という人間独自の技術によって、自然を人間が有効に活用するようになります。
問題は、人間がどうやって知恵を身に着けたのか、です。
あらかじめ埋め込まれていたからという考え方もあるでしょうが、おそらく、発端はごく限られた人の発明発見であって、それを模倣することで「生活」レベルの変化へと広がってきたと思われます。
現代の科学や芸術も同じです。先駆けとなる人がいて、それを模倣し改革し、新たな技芸を加えて限りない進化と発展を遂げているのだと思います。

それは歴史上の人物に限らず、どの世界どの世代にもどの民族にも日常的に起こっていることで、そこには必ず、神の介在があると考えてみました。
独自性で自然から離反したようにみえる人間の知恵は、まぎれもなく神の知恵です。
神とともにあった人類創世の時代から現代にいたるまで、大元は神のシナリオだといってもいいでしょう。
時代が古くなればなるほど、神の啓示を受けた人の模倣で世界は成り立っていたのだと思います。霊魂は簡単に連鎖連動していた時代です。個=全の時です。

農耕に気づいた人も、火を使うこと、槍を使うことを思いついた人も、みんな天意を受けているってことです。人間独自の知恵ではありません。
今現在だって大元を流れているのは自然の意志です。
問題はそれを誰もが模倣できるほどに現世界は単純ではなくなり、また、人も増えてきたってことです。

周りくどい説明になりましたが、算命学が語る自然(神)の天意に沿った生き方は誰にでもできる可能性という事です。
算命学は、誰もが自分の人生において先駆者になる道を説いています。
それは即、誰もが有名になれる、歴史上の人物になれる、発明家になれるということではありません。中にはそういう人もいるでしょうが、それは自分に与えられた天意が何かによって変わってくるのだと思います。

極めて個人的家系的な問題を背負って導くことが天意である人もあれば、科学や芸術に寄与する人が天意であることもあります。
個人的=歴史的、です。この世界に不等号はなく、すべて等価値です。

算命学の宿命や運命論は各個人が天意に近づくにはどうしたらいいのかが説かれていると思われます。
古代人が朝陽とともに目覚め日没とともに寝るという自然の法則を生きていたのと同じように、この複雑な現代でも、自分ではなく天意のままに生きられる可能性があることを算命学は示しています。