人間を極に3つの陰陽があります。ここに男(陽)女(陰)を加えてもいいでしょう。
そこで「人間とは何か」という問いの答えを探そうと思ったら・・・
肉体と霊魂も答えだし、男と女も答えだし、時間と空間的存在も答えになります。
ということは「人間とは何か」という問いに対して、明確な答えはないともいえます。
これは人間に限らず、「〇〇とは何か」というすべての答えが明確にはでてきません。
車とは何か⇒ガソリンや電気のエネルギーで機器が作動し、人間が運転して・・・
車とは何かを答えられなかったとしても、これらの絵をみて「車」と答えは出せます。
でも、「車」とはという問いには一つの正解は出てきません。これはどういうことか?
実在するのは「車」であって、描かれている目に見える車はその仮象にすぎない?
古代からこれに類似した考え方は、陰陽説だけでなく、たくさんあります。
現実に実在するのはイデアで、人間が認識する対象や世界はイデアの似像にすぎない。
イデアは古代東洋でいうところの神の意志、自然の法則、五行の世界です。
陰陽説でいえば、極が実在で、現実に現れている車は陰陽の相対的存在物です。
「確かにある」のは目の前のものではなくて、神の意志のほうです。
樹木という存在は人間が表出する時間によって生まれた仮象ってことです。
ほんもの(イデア)は五行の「木性」のほうです。
ここでいう人間はBさんでもよくて、となると、樹木はBさんの樹木になります。
こう考えていくと、すべての存在の背景にあるのは、神の姿である五行ってことです。
算命学は現実の背景にある神の摂理(陰陽五行)を解読することができる理論です。
人間が幸福になるため、成功するために作られた占術ではないだろうと思うのです。
算命学は誕生時の3つの干支によって、すべてが占えるようになっています。
人間とは、実在するAさんBさんではなく、3つの干支なのだとも考えられます。
「人間とは」、「人生とは」を解くカギは干支の中にあるといってもいいでしょう。