青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

スピ算人生論-検証 主星禄存星の有名人④

たけしさんは、お笑いタレント、俳優、映画脚本家、監督。本名は北野 武。漫才コンビ・ツービートとして活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、テレビ番組『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは俳優として映画やテレビドラマにも出演し、1990年代からは映画の脚本家・監督としても活動しているWikipedia

母干がなく場所で取りますが、霊魂的観点では、どうしても「母」として戊の霊魂が必要だったという考え方をします。縁の濃淡よりも、必然性を重視します。
戊の正干は母の父ですが、母さきさんは親族に恵まれずに、兄弟や母を早くに亡くしています。父(正干戊)も小学校の頃に他界。さきさんは、まじめで勤勉、困難にも耐え抜いて、道を切り開いてきた人です。この血が若い時から必要だったのかなと思います。
たけしさんは、自伝的な本を何冊も出していて、子供時代や祖父母の話しもよく出てきています。NHKファミリーヒストリーでも取り上げられていたので、このあたり、ブログでも自伝を読んだ人が詳しく語っているのでそれを参照しています。
さきさんが奉公先で出会った三味線の師匠に気に入られて(北野うし)、「北野家」へ嫁に行きました。ここでも、夫が早死に(病死)するという不運に見舞われて、夫の従弟と再婚します。これがたけしさんの父の菊次郎さんです。

母のさきさんは、しつけも厳しく、末っ子の禄存星としては、優秀な兄姉をもって、自己顕示する場はなかったと思います。東京は足立区という超下町で育っているので、ワルガキ時代ではあったと思いますが、禄存星の自己主張は蓄積されて、名を成してからどんどん開花しているように思います。
また、たけしさんは4人兄弟ですが、実際は二番目に早逝したお兄さんがいたそうです。
算命学の兄弟の法則で、男女分けて、1番目と3番目、2番目と4番目がシーソーするという法則があります。これも陰陽論なのかなと思いますが、たけしさんは、4番目で2番目が欠けたことで、陽転する形を得ています。これ、折に触れてみていますが、実際にそうなっているケースが多いように感じます。

人物設定が難しいのですが、父は婿養子にきているので、父の母は血縁的には、北野うしさんではないのですが、実質の祖母は北野うしさんで、霊魂的には、父の母の「辛」に宿っていると思います。たけしさんも、母は厳しかったけれど、うしさんはやさしかったと語っています。

天干と月支の禄存星は父系祖母(北野うしさん)でいいように思います。彼女の采配で北野家の4兄弟が生まれ、育ったという因縁があります。兄弟仲もよかったので、丙は兄弟でいいでしょう。

親の言うことは要所要所では聞いていたようで、「俺は明治大学の工学部行ったんだけど、これから高度経済成長の時代に文化系なんか行ったら大変なことになるって、機械科へ行かされた。2・3年くらい経ったら学園闘争が始まって、社学同社会主義学生同盟)っていうのが工学部を占拠して、入れないの。それで休校状態で、俺、行かなくなっちゃったの。それで新宿の喫茶店でボーイやってたんだけど、もう学校卒業の見込みもないし。昔よく浅草へ遊びに行ったから、行ってみたら、フランス座に「アルバイト募集/エレベーターマン」って書いてあるから、じゃあエレベーターマンでもやりながら将来考えるかって」<足立区広報インタビュー>以下青字はインタビューより

フランス座はストリップ劇場で、ショーの合間合間にお笑いでつなぐという構成になっていて、その芸を観ていたら自分でもやれそうだし、楽に金を稼げそうだと思って、なんとなくやり始めたら、それが生きる道になりました。

深見千三郎の弟子になって、そこで何年かやったんだけど、演芸場ってとこで、女の人の裸見に来る客が来るから、笑わせるのがぜんぜん楽だからって聞いて、そこへ見に行ったら、つまんないことで客が笑うんだよ。そんな簡単なことねえって思って、演芸の道に入った。そしたら思ったよりウケるんで、いろんなとこ行って、それで今になっちゃった。だから芸能界入る気なんてさらさらなかった。学園闘争のおかげみたいなもんで(笑)

最初の師匠、深見さんとは相性診断でいう縁はないのですが、これまでも、ガイドとなるような縁の人を観てきましたが、納音や天剋地冲縁が目立ちました。
これも、霊魂縁の一つになりそうな気がするので、今後もみて行きたいと思います。
北野うしさんは、もともと三味線や浄瑠璃の先生でしたから、芸事の血は父系にあったのだと思います。母は頭の良い人で、そこに遊び人の父系がブレンドされて、芸人北野武が出来上がったのかなという気がします。

その後、フランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎(のちのビートきよし)から漫才コンビを組むよう誘いを受けた

これも強い縁はなく、日支月支の天剋地冲です。これは天干も地支もたけしさんが打つ側なので、関係に矛盾はなく、地冲=霊魂の作用と考えられるかどうか、もう少し、検証を続けます。

この後たけしさんは、お笑い界の大御所となるような活躍を見せます。だけし軍団と呼ばれる弟子のような仲間を何人も抱えて、面倒見の良い、主星&座下1気禄存星を最大限に燃焼しているように思います。

5旬の天剋地冲は貫索星天南星という自分が強くなる10年でした。
最愛の母さきさんはその前の大運、1999年に亡くなっています。
霊魂的には、見えない応援を得たことになると思います。
天剋地冲の10年は映画監督北野武としての活躍が目立った時です。

映画は1989年に「その男、凶暴につき」で映画監督デビュー。1997年に「HANA-BI」でヴェネツィア国際映画祭の最高賞・金獅子賞を受賞しています。
大運六巡目の最初の2003年には、そのヴェネツィア国際映画祭で「座頭市」で同映画祭の銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞しています。
この時期の特徴としては、貫索星大運らしく、自分自身を前面に出した映画を三部作として監督主演しています。
3部作の最終作では芸術家北野武(背景には浄瑠璃の師匠北野うめ祖母の霊魂)を投影したような作品になっています。