青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

スピ算人生論-検証 主星司禄星の有名人①

満洲国の牡丹江省牡丹江市に生まれる。元は北海道小樽市に在住していた両親は、渡満して酒造業で成功を収めていた。終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に大きな影響を与えた。実兄・正一は立教大から学徒出陣として陸軍に入隊し、特別操縦見習士官として特攻隊に配属されたが終戦となった。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着くWikipedia

なかにしさんは自伝小説や兄のこと、母のことを題材にした小説を書いているので、両親の姿はある程度つかめるのですが、それ以上の先祖は想像するしかありません。
特に、月支本元の「庚」は母系祖母または父系祖母の両方の可能性があります。

ただ、「母は「小樽小町」と呼ばれた 美貌びぼう で、さらに女性の地位向上に力を尽くしていた思想家、平塚らいてうに影響を受けた進歩的かつ自由奔放な女性でした。洋装を好み、夜な夜なダンスホールで踊っていたといいます。母には恋人がいたのですが、ひょんなことで、父と出会い、そのおおらかでひょうひょうとした人柄にひかれ、1922年に結婚したのです」と自由奔放な母だったと本人が語っているように、そしてこれはなかにしさんの中にも生きているような気がするので、月支本元は母系の祖母としてみました。

主星司禄星としては子供時代の経済状態が大切なのですが、終戦までは満州で相当のお金持ちだったようで、上流階級の生活をしていました。8歳に小樽に戻っていますが、その前から、命からがら戻ってきたという激動の戦中時代があったようで、実際は環境波乱で生きた司禄星だったようです。
幼少期に期待を裏切られた状態になり、不信感を抱えて生きることになります。司禄星の本質である、蓄積の気は、不信の念が現われれば不信感が蓄積されます」心理的にはまさにこれだったと思います。なかにしさんのその後を観ると、むしろ現実への絶望と不信から精神的な何かを蓄積した若年期という感じがします。

なかにしさんは、シャンソン喫茶でアルバイトをしながらフランス語を勉強、1965年に立教大学文学部仏文科を卒業します。大学在学中、1963年に最初の妻と結婚し、一女をもうけますが、1968年に離婚しています。

タカラジェンヌで、シャンソン歌手の深緑夏代に依頼されたことがきっかけで始めたシャンソンの訳詞を手がけていた頃、妻との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで『太平洋ひとりぼっち』(映画1963年公開)を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得る。石原に「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込んだ。それから数ヶ月後、石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒットする。Wikipedia

ここで二人の人物が登場します。作詞家へと向かうきっかけになったシャンソン歌手の深緑夏代さんと、偶然にしては大物過ぎる石原裕次郎さんとのご縁です。

霊魂縁では、これまでのところ、対冲系(納音・天剋地冲)は霊魂を掘り起こすようなニュアンスで、干合変化縁(虚としての霊魂の呼び出し作用)、律音(一体感応感)、この3つに注目しています。大半会は人間が反応しやすい縁という感じです。いまのところまだデータが少ないので、仮説段階です。

シャンソン歌手の深緑さんとは、律音+納音という強縁です。人間縁でも霊魂縁でも強い結びつきです。しかも四領域共通は離れがたいものがあるとは思います。
実際に個人的な関係はわかりませんが、霊魂が道を定めるにあたっての登場人物としては十分な働きをしてくれそうな相性です。

裕次郎さんとは一見無縁です。干合縁だけなのですが、このたった一つの干合縁が奇跡の出会いに変わります。

この律音は強烈でしょう。そして、羅状大半会が二つ生まれます。

やがて石原プロの新人 黛じゅんのプロデュースを任され、彼女が『天使の誘惑』で日本レコード大賞を獲ると、作詞家なかにし礼は、日本を代表するヒットメーカーとなっていきました。裕次郎の最晩年の名曲『わが人生に悔いはなし』は、なかにしさんが感謝の思いを込めた渾身の作品だったそうです』<KEIO MCC記事より>

その後、作詞家として歌謡史に残る名曲の数々を残し、小説家としても2000年に直木賞を受賞しています。クラシック音楽や絵画にも造詣が深く、なかにしさんの司禄星は、挫折体験と敗戦の苦労を通して教科書通り精神性の高いものを蓄積してきたようです。

霊魂登場の可能性がある6旬目は、丙寅、兄弟と両親というなかにしさんにとって深いつながりがある肉親がすべて登場します。満州時代への回帰も予測されます。

1991年 マーラー交響曲第四番「大いなる喜びへの讃歌」日本語による初演。
1992年 「なかにし礼訳詩によるモーツァルト歌曲集コンサート」
1995年 NHK・BS「世界・わが心の旅」の取材で五十年ぶりに生まれ故郷、旧満州牡丹江市、ハルピン市をたずねる。
1998年 小説「兄弟」(文藝春秋)出版、直木賞候補作品となる。
1998年「音楽の友」にてクラシックエッセイ「天上の音楽・大地の歌」の連載開始。

大運六旬は、生まれ故郷ハルピンを訪ねるテレビ番組があったり、身内を描いた小説「兄弟」も話題になりました。「破滅的人生を送る実兄・正一に翻弄され、苦闘を強いられた弟・禮三の愛憎と葛藤を描いている」と解説がある通り、なかにしさんの壮絶な兄弟との愛憎の姿を描いた作品です。これも蓄積された過去の中で、日の目を見る必要があったことなのでしょう。

その他ではクラシック音楽への関りがこの時期ずいぶん顕著になっています。

なにが私をして泣かせるほどに感動させたのか。それはベートーヴェンの『田園』がまったく私の知る満洲の風景を描写していたからだ。第一楽章も第二楽章もあの通りだ。特に第三楽章では、夏の終わりごろの満洲の田園風景が目に浮かぶ。農民たちは大麦や小麦、トウモロコシやコーリャンを収穫して大いに喜ぶ。そこへ雷が鳴り稲妻が光る。満洲の雷は日本のそれのように穏やかなものではない。稲妻だって地平線全体を貫くように幾条も走り落雷する。まさにこの音楽のようにだ

2021年に書かれた『愛は魂の奇蹟的行為である』の一節です。単に満州の田園風景という回帰ではなく、人間とは何かという根本的な問題を音楽や絵画から啓発されたなかにしさんの蓄積された司禄星の一つの開花だろうと思います。「魂」という言葉がタイトルに使われているのも、満州の経験が魂由来を感じさせるものです。

また、次の大運に入ってからは、自分の二度目の妻・石田ゆりさんの家族をモデルに小説を書いています。戦後復興期の昭和30年代の大阪・池田市を舞台として、母親と4姉妹の成長を描いた物語「てるてる坊主の照子さん」です。これは後に、NHK連続テレビ小説てるてる家族」としても放送されています。
月支の壬は妻という見方もできそうです。

妻の石田ゆりさんとは、日干支同士の納音縁があります。また、日年の天剋地冲もあって、霊魂因縁を感じさせる相性です。

なかにしさんは、2012年3月の放送で食道癌であることを報告。それ以降は病気と闘いながらの人生でした。このころから、政治的発言が多くなり、戦争反対という立場を表に出して、戦う姿勢を示しています。

2014年「天皇日本国憲法 反戦と抵抗のための文化論」(毎日新聞社)出版
2017年 エッセイ「天皇日本国憲法」(河出文庫)出版
2018年 読売新聞連載記事「時代の証言者」(「言葉を紡いで」なかにし礼
2019年    エッセイ「わが人生に悔いなし 時代の証言者として」(河出書房新社)出版
2020年 12月23日 午前4時24分 永眠(享年82歳)

悔いのない人生だったろうと思えるような生き様を示してくれましたが、これらはほんの一部です。
なかにしさんの歌詞や小説の中には、自由奔放に女を生きた母親を感じさせるものも多くあります。

気軽にやり始めましたが、霊魂の軌跡を現実世界に探すのは、簡単ではなく、紙面と気力の関係で充分なものにならないことをご了承ください。