青い算命学

算命学に関する独善的ブログです。

人間vs霊魂㉖・・・心の働きを想像する

以前みた、人間が行動に移るまでの算命学的流れです。
この中で、感応するのは無意識霊魂の働きで、それが行動になるまでのプロセスが心の働きってことになります。

図でいえば、何気なく思い浮かんだことが(ちょっとしたきっかけで動いた気持ちが)だんだんその気になって行動へとつながります。
その時に、気持ちになる(気持ちが作られる)という部分が心の働きです。
算命学的には、「感応が拡大し、理性・知性・情性が参加」させるのが心です。
心の中で理性(知性)と情性が葛藤、または、相談している姿が浮かびます。

この図は算命学が定義しているものではありません。
解説文とこれまでの経緯から想像して描いたものです。
推論的なものとしては、霊魂の陰陽である魂魄の魄のほうを肉体内(十二支内)に宿ると考えて、ここに実魄と虚魄という区分けをしてみました。
実魄は宿核という想定です。虚魄は環境によって宿核に紛れ込む様々な気です。
霊魂は融合作用があるので、実際は混在していて、虚気といっても100%ではなく、そこには実気が混在している可能性もあると思えます。

始めは「魂」のほうも宿核の中にあるのかなと思っていましたが、一代限りという限定は、非肉体的な縦軸(精神軸)に属すると考えるのが妥当に思えて来て、魂と日干を肉体外の精神干としました。
これが必ずしも、日干月干年干を意味しないのは、「心は本来空なるもの」という定義があるためです。ただ、イメージとしては天干から派生していると思われます。
中でも、すべての星を現実化している日干の働きが、心の主役であることは間違いないでしょう。

宿核(実気)→虚気→主星(現実の心)→日干(オペレーター)⇒=心・・・→神 

気虚気欲望などのエネルギーから一つの答えを見出し、行動を作るのが心の働きで、その時に、日干に並走して「魂」があって、これが神と通じているという想像です。
もし、魂がなければ、人間はもっとストレートに欲望に任せる形で、行動へと移せるだろうと思います。

魂には人間的理性(虚魂)と神的感性(実魂)と両方があって、これもまたせめぎ合いながら形創られていると思われます。
虚実の魂については、算命定義ではなく個人的な思いつきです。
虚魂は人間世界よりの理性で、道徳とか正偽とか価値判断をする人間特有の働きをもっています。

虚実の魄が現実人間の主役であるとするなら、虚実の魂は霊魂を導く影の主役です。
その意味では、魂があるから人は迷い、悩み、苦しみ、突然のトラブルに見舞われたりするのだろうと思います。
また芸術に反応したり、神社仏閣で心が癒されたり、自然を求めて旅に出たり、こうした現象は、「魂」の働きが人間に刺激を与える(何かを訴えている)と感じます。

神的感性というのは、人間が本来生きるべき方向を含んでいる感性で、一代限りですが、これがいかに成長するかが人間の真の成長と生きる意味なのだと思います。
第六感とか、ひらめきとか、ふと感じた正解とか、イデアを想起させるとか、現実から神のメッセージを受け取るとか、これらの感性がいかに育っていくかが、人生の重要な課題なのだと思います。