一般的に霊魂というと、ご先祖様や輪廻転生や幽霊みたいなものを想像します。
算命学でいう霊魂は、死後でも生前の人格を持った霊のことではありません。
一つの塊としての霊魂が修行や浄化のために輪廻転生するということでもありません。
形あるものはすべて、形と気(霊魂)という陰陽で成り立っています。
大宇宙が形と気で成り立っているゆえに、小宇宙もまた同じ原理で成り立ちます。
形と気、この形が樹木であったり石であったり、肉体であったりします。
宇宙を漂う五行の気と、人間界の自然を作ったり人間を作る霊魂は別物と考えます。
また、自然を作る霊魂と人間を作る霊魂もまた別物と考えます。
ただ、元をただせば同じ自然界の気(五つの気)に還元されます。
自然の空間の中に存在する山や河や樹木に宿る気はある種のエネルギーです。
人間の霊魂も人間の肉体に入るまでは大自然界の気(エネルギー)です。
それらが肉体に入った時に人間個人のエネルギーになります。
霊魂は実在ではありません。樹木や肉体に入ることによって実在になります。
実在するものはすべて気(霊魂)と形(人間なら肉体)で成り立っています。
地上の気と宇宙の気は同じ五行なのですが・・・どこに違いがあるのか?
形に入っている時は、それ自体が違いです、有形、無形という違いです。
では、肉体が死んで、霊魂だけになった気で地上に残る霊魂はどうなるのか?
霊魂には違いないのですが、これを裏干支と考えてみました。
算命学でも「人間が時間」と書いています。有限の時間と無限の時間に分かれます。
無限の時間という言葉は、本来それ自体矛盾です。無限は時間がないことですから。
でも、あえてそういうのには意味があって、この無限は永遠ではなく、無の時間です。
表干支と裏干支を五行別に対比させて書かれています。
表干支は動的な時間(有限の時間)です。裏干支は静の時間(霊魂の時間)。
木性は陰陽で異なりますが、時間の「子」は共通です。
これが人間が時間という意味だと解釈してみました。
人間が生きるってことは、動的時間の裏側に静的時間があるという解釈です。
車とは何かを語れないのと同様に、人間とは何かを語れないのはこのためでしょう。
例えば、人間が単に動的時間であるなら、これは一つの答えになると思います。
しかし、人間は動的時間であるとともに静的時間も含まれています、というと?です。
この二つをつなげて人間をイメージすることはできないでしょう。
そこで、この二つをつなげる別の要素が必要になってきます。それが「心」です。
人間とは動的時間と静的時間を調和させる「心」という存在です。
実在の人間とは異なるイメージですが、これが人間だと算命学は語っています。