男の子を集団の中で遊ばせろというのは、人間関係を学ぶ訓練だけではありません。
子供は遊びの中で自分の本性がでるものです。それで争いになったりもします。
それがいいってことです。ありのままの自分を他人に見せる機会を子供に作らせます。
それが男子(鳳閣星霊魂)の当たり前の姿です。
座気論の真意は、その当たり前を人間の力で壊してはいけないということです。
自然とは異なる方向で、人為的にゆがめてはいけないと警告しています。
それほどの昔ではなく、男の子は武術を学び馬に乗ったりしていました。
そして、自然の中で、みんなで遊ぶことで人間形成されていたと思います。
教育方針なんてなくても、男子は自然に鳳閣星の霊魂が喜ぶ子供時代でした。
女の子は個人的な遊びの中で心を作り、間接的な表現を身につけることが調舒星です。
その本意は「一人が寂しいと感じない心作り」です。なにやら奥深いお言葉です。
これが陰の魂の本質で、陽を支えるための心を子供時代に養うのでしょう。
調舒星=孤独という星の意味もこのあたりが語源なのかもしれません。
孤独が芸を生むのは副産物で、本来は、楽しみは一人で作るってことです。
女の子は「おひなさま」のあそび、華道・茶道など一人でやれることで育ちます。
陽の気が男性を生み、陰の気が女性を生み、陰陽の本質が人間を作ります。
歴史をひも解いてみると、陰陽の違いが明確だった時代が多いように感じます。
それがいつの間にか変化してきて、現代では境目も見えなくなってきました。
人間基準にすると時代遅れの子育てで、今の子供には通用しないと思うでしょう。
一度今の時代や自分の考えを捨てて、霊魂様が正しいのかもという観点で観ます。
本来こうあるべきなのに、人間の歴史が完全に違った人間を作ってきてしまった。
一つは、自然が価値だった時代から人間が価値になる大きな変化が起こっています。
学歴や収入の額が価値になり、女性も陰陽対等が当たり前のようになってきました。
そして人間を作る基本の教育が崩れ、時代の価値に迎合しているように見えます。
現実が正しいという基本姿勢は必要だとは思います。
でもその正しさは東洋的真理ではなく、プロセスとしての正しさでしょう。
基準が常に「今」になっている正しさです。
それは算命学が言うように、本来の正しさがみえなくなっているからかもしれません。
僕らには判断できないことですから、それは、ジャッジしないほうが賢明です。
ジャッジせずに、まずは霊魂基準で考えてみることは悪くない試みだろうと思います。